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日本における「LGBTQ(性的少数者)」運動の先駆者として知られる元編集者で自身もゲイの南定四郎(ていしろう)さん(89)=沖縄県うるま市。青年期を秋田市や男鹿市で過ごし、本県にもゆかりがある。「当時は日陰を歩いているようだった」。先月4日開かれたオンライン研修会で、自身の半生を語った。

研修会は、本県を拠点に性的少数者を支援している団体「性と人権ネットワークESTO(エスト)」の主催。
南さんは1931(昭和6)年、樺太で5人きょうだいの次男として生まれた。戦後、一家で母の故郷である本県に移り住み、戸賀村(現男鹿市)や秋田市で暮らした。
県内の高校を卒業後、秋田地方検察庁に就職。18歳の夏、職場からの帰宅途中に立ち寄った書店で、一冊の雑誌と出合う。同性愛者について描かれていた。「自分のことではないかと初めて自覚した。東京に行けば同性愛者に会えるのではないか」と思った。
しかし、上京後も現実は厳しく、同性愛者としてオープンに語ることははばかられ、職に就いても数年で辞めるという生活の繰り返しだった。
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