新あきたよもやま:秋田美人誕生(8)~秋田音頭で東京デビュー

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ハヤリ唄より浄瑠璃


川反芸者は「下地」と呼ばれる子供の頃から厳しく芸事を叩きこまれていた。

「小学校を終えても、半玉(舞妓)になるための厳しい稽古になる。長唄、踊り、三味線の3つが大事とされてたね」(『秋田県婦人生活記録史』秋田県婦人生活記録史刊行会、昭和60年)

「踊りは今と同じ花柳流です、(中略)その頃は、置屋が金を出し合って今の『こやぎ』のところに一軒大きな家を立てて師匠を置いたもんです。ですから芸者も舞妓も毎日芸を磨くことが出来たんですね」(『川反むかし話』)

大正から昭和にかけて、川反を一流の花柳界にするべく「縁の下の力持ち」として支えた一人が芸者置屋「大黒家」の主人・大黒文助だ。警察官から大黒家の婿となり、芸妓組合の組合長も務めた大黒は、東京から唄や踊りの師匠を招いたり、芸者が稽古の成果を披露する「温習会」を毎年開催したりと、芸道の発展に尽力していた。(※1)

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