時代を語る・青木隆吉(1)「図案」を学び教員に

お気に入りに登録
※写真クリックで拡大表示します
秋田市将軍野東の自宅アトリエで
秋田市将軍野東の自宅アトリエで

 教員を退職後、県芸術文化協会会長を務めた青木隆吉さん(83)に来し方を語ってもらいます。

 ◇  ◇

 デザインを図案と呼んでいた時代に、ポスターなどを制作するグラフィックデザインの道に入り、今年で66年になります。

 秋田市立商業高校(現市立秋田商業高校)から多摩美術大美術学部図案科に進んだのがきっかけ。今思えば雑誌「芸術新潮」を取り寄せて読んでいた兄の傳之助に影響されたのかな。当時は図案のことをよく分からなかったんですけどね。

 大学を卒業した昭和35(1960)年に、秋田市立工芸学校の非常勤講師に採用されました。当初は市内に自分のデザイン事務所を構え、デザイナーと教員の二足のわらじを履くことに。だけどまだデザインという仕事が理解されていなかった。4年ほどで事務所を閉め、教員一本に絞りました。

 ところが工芸学校を卒業しても高卒などの資格が得られないこともあって、生徒が定員に達しないことが続いた。新聞に、傾いた校舎の写真と一緒に「廃校か、変身か」との記事が大きく載ったこともありました。

 その後、学校は就職にも力を入れ、市立美術工芸専門学校を経て秋田公立美術工芸短大(現秋田公立美術大)付属高等学院へと発展しましたが。

 短大の教授や付属高等学院の校長も務め、生徒や学生には「チャレンジ精神を旺盛に」「継続は力なり」と話してきました。私の座右の銘です。私自身も中央展の二科展への出品を続けたり、60歳近くになってからコンピューターによる制作を始めたり、さまざまなことに挑戦してきました。

 「大いなる秋田」(石井歓作曲)のレコードジャケットのデザイン、県内小中高校の校章や国際教養大のシンボルマークの補作、秋田わか杉国体のマスコットやシンボルマークの選定なども思い出深いです。

この連載企画の記事一覧

秋田の最新ニュース