【インタビュー】秋田らしさと書かれた紙をめくれば、そこにはアオシと書いてある 元ブラウ選手・青島拓馬さん

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サッカーJ2ブラウブリッツ秋田の元選手で、昨季限りで現役引退した青島拓馬さん(29)が、母校の法政大のサッカー部コーチに就任した。攻守でハードワークをいとわない献身的なスタイルで2度のJ3優勝に貢献。明るく気さくなキャラクターで、「アオシ」の愛称でファンから親しまれた。第2のサッカー人生を歩み始めた青島さんに、引退を決めた経緯や秋田での思い出、母校で歩み始めたコーチ業への決意を語ってもらった。
(聞き手=伊藤正孝)

あおしま・たくま 1993年4月6日、静岡県浜松市出身。浜松開誠館高(静岡)―法政大出。2016年に当時J3の秋田に加入。運動量が豊富なサイドプレーヤーとして攻守をけん引。17、20年の2度のJ3優勝に貢献した。通算成績はJ3で98試合出場で4得点。21年シーズン限りで現役引退し、22年から法政大サッカー部のコーチに就任。東京・八王子市住。

法大コーチは、自分を磨いて磨いて磨き続けてやっと務まる仕事


―お久しぶりです。母校でコーチを務めることになった経緯を教えてください。

僕が大学3、4年時に指導していただいた前監督の長山一也さんがS級コーチ養成講習を受けることになり、コーチを務めていた井上平さん(元東京V選手)が監督に昇格した。そして僕がコーチに入ることになった。長山さんから「アオシ、コーチをやってくれないか」と連絡をいただいた。

―昨年末に現役引退を発表しました。まだまだ現役として活躍できたのではないかと思ったのですが。

他のチームに行って、これ以上濃いサッカー人生をたぶん味わうことはできないと思い、引退を決断した。めちゃくちゃ濃い6年間を送ったという自信がある。

―元々指導者になることを希望していたのですか?

本当はサッカーから一度離れて違う分野に挑戦するつもりだった。だが指導者としてオファーを複数いただけた。「アオシ、来てくれ!」という言葉をいただくことができて、選手として積み上げてきたものが間違いではなかったと確信できた。全く試合に出られず、これまでの積み上げが否定されたような気持ちになった時期も正直あった。一生懸命やっていれば絶対に誰かが見てくれていてくれる。それが選手人生の最後の学び。

―複数のオファーから母校の法政大を選んだ理由とは?

いま法政大サッカー部はめちゃくちゃ強くて、大学サッカー界のピラミッドで最上位にいるチーム。そこで指導者としてスタートできるチャンスがあり、チャレンジしないわけにはいかないと思った。昨年は総理大臣杯全日本大学トーナメントで日本一になり、9人のJリーガーを輩出した。そして毎年優秀な学生が入ってくる。

朝練習で選手を指導する青島さん


―母校であり名門校。重圧は大きいのでは?

相当頑張らないと務まらない。でもこれはチャンス。プロ選手として一生懸命やらないと生き残ることができない世界に飛び込み、適応して翌年の契約をつかみ取ってきた。そういう厳しい環境に飛び込んでこそ僕は成長できる。法政大のコーチは自分を磨いて磨いて磨き続けてやっと務まる仕事。正直言うと自分に務まるのか不安。でも迷った時は怖い方に飛び込む。そういう時がめちゃくちゃ成長できると知っているから。

―青島さんにとって法政大サッカー部はどんな存在ですか?

大学4年時のJリーグ内定者記者会見で、僕は「法政大サッカー部に来て本当に良かった」と話した。さまざまな価値観を持った人と同じ目標に向かって努力した4年間は自分を成長させてくれたし、プロ選手になるという夢もつかませてもらった。本当に感謝している。その場所に再び迎え入れてくれたことに感謝の気持ちでいっぱい。

―法政大サッカー部はどのようなチームですか?

少数精鋭で1学年15人程度。部員数は70人弱で、関東大学サッカーリーグのチームとしては少ない。トップ、セカンドの2チームだけ。スタッフも基本的には監督と僕の2人態勢で、僕はセカンドチームを任されている。トップチームは関東大学リーグ、夏の全日本大学トーナメント、全日本大学選手権(インカレ)での優勝が目標。トップチームの試合では、僕はコーチとしてベンチに入る。普段指導するセカンドチームはインディペンデンスリーグ(Iリーグ)が主戦場になる。

―コーチはどんな仕事を担当するのですか?

Bチームの練習メニューを組むし、ミーティングも主導する。裁量は大きい。Iリーグの試合では僕が監督として指揮を執る。就任して3カ月目だがとても仕事が多い。指導者として経験をめちゃくちゃ積める環境。

―コーチになって、選手時代と比べて大きく異なるのはどのような部分ですか。

選手時代は自分の感覚を大事にすればよかったが、指導者はチームを一つの生き物として捉え、どう機能するかなぜ機能しないのかを考えて言語化する必要がある。それがすごく難しい。選手の時は戦術書には興味がなかった。「机上の空論」だと思っていたので。でも指導者は選手に言葉にして選手に伝えないといけない。サッカーの分析や戦術が得意な人たちが書いた本を読んで情報を吸収するようになった。

―サッカー部のコーチはどのような契約形態?

プロ選手と大きくは変わらなくて個人事業主。サッカー部との契約になる。選手時代はピッチで結果を残すことが責務だったが、ここでも同じこと。もし学生がJリーガーになりたいと言うのであれば、送り込む責任がある。選手は本気で夢をかなえるために来ている。中途半端なことはできない。だから自分が一番勉強しないといけない。

プロとは、どんな時も一生懸命でベストを尽くせる人


―J2初挑戦の昨季は出場機会をつかむことができず、契約満了となりました。

初めてJ2で戦うプロ6年目のシーズンだった。大前提としてサッカー選手であるからにはステップアップしたいし、より高いレベルで自分を表現したい。だから昨季初めの時点で、J2で活躍できなかったら引退すると心に決めていた。価値観は人それぞれだが、ただ長くプレーできればいいとは思わない。どれだけステップアップできるか、上のレベルで自分を表現し続けられるかが大事だった。28歳という選手としては一番良い時期にJ2に挑戦するチャンスが来た。でも1試合もベンチに入ることができなかった。ここまでだなと思った。

―試合に出ている、出ていないに関わらず、全員がチームのために一生懸命に取り組んでいたことが20、21年の秋田の強さの源泉だったと思います。とても難しいことだったのでは。

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