時代を語る・明石康(7)戦後は校舎を転々と
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「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び―」。1945(昭和20)年8月15日、旧制秋田中(現秋田高)の3年生だった私は、扇田町(現大館市比内町扇田)の実家で、家族と終戦の詔勅を聴きました。ただラジオは雑音が多くて聴き取るのが大変でした。
玉音放送があっても町では泣いたり、取り乱したりする人の姿は見かけませんでした。私は「戦争が終わったんだ」と思う一方、これからどうなるんだと不安の方が大きかったような気がします。でも次第に日本にとって明るい日が訪れるかもしれないと期待を抱くようになりました。
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