集う人々・世界×文化(1)祇園祭と牛頭天王信仰(志立正知)

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(上から時計回りに)祇園祭の山鉾巡行(京都市)、東湖八坂神社の牛乗り神事(潟上市天王)、黒石寺の蘇民祭(岩手県奥州市)
(上から時計回りに)祇園祭の山鉾巡行(京都市)、東湖八坂神社の牛乗り神事(潟上市天王)、黒石寺の蘇民祭(岩手県奥州市)

 コロナ禍の収束はまだ見えませんが、自粛していた祭りや会合が少しずつ再開されるようになりました。古今東西の「集い」について、秋田大学で文学や芸術、歴史や哲学を担当する教員がシリーズで論じます。

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 コロナ感染症の流行のため、ここ数年中断されていた土崎港曳山(ひきやま)まつりや秋田竿燈まつりが、再開されるといううれしいニュースが聞こえてきている。人々が集う祭りは、地域の連帯性の維持や伝統文化の保存のためにも、ぜひ大切にしてゆきたいものだ。

 こうした祭りの中には、疫病の収束を祈念した御霊会(ごりょうえ)に起源を持つものがある。代表的なのが京都の夏を代表する祇園祭だ。

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 平安京が建設され、人々が密集して生活するようになると、さまざまな病の流行が都を襲うことになる。衛生や感染症に関する知識のなかった時代、ある意味やむを得ないことではあったが、そこに暮らす人々にとっては深刻な脅威であった。人々は、こうした災厄が御霊(まつろわぬ霊)によってもたらされると考えた。御霊の代表格としては菅原道真や崇徳(すとく)上皇など、不遇の死を迎えた死者の怨霊が挙げられるが、海外からの渡来神もまた御霊とされることがあった。貞観(じょうがん)14(872)年正月に京中に咳病(しわぶきやみ)(インフルエンザの一種であろうか)が流行したときには、渤海(ぼっかい)国使の入国による「異土ノ毒気」の故(ゆえ)という噂(うわさ)が流れたという(『三代実録』)。

 こうした御霊に対し、人々が集い、仏事や歌舞芸能などをもって慰撫(いぶ)し、災厄の収束を願ったのである。平安時代の政治家藤原忠平の日記『貞信公記』延喜20(920)年閏(うるう)6月23日条に、「咳病を除かんために、幣帛(へいはく)(供え物)・走馬(はしりうま)を祇園に奉るべきの状(原文漢文)」とあるのが、現在知られている祇園での御霊会の最初の記録となっている。祇園祭で繰り広げられる華やかな山鉾(やまぼこ)巡行も、じつは御霊神を楽しませるために行われているのである。

 祇園社の祭神は牛頭天王(ごずてんのう)とされているが、これがいつ頃からなのかは実はよくわかっていない。歴史学者の村山修一氏によれば、牛頭天王は古くはインドの土俗信仰の対象であったが、陰陽道(おんみょうどう)の星宿神として南都系密教に伝わったという。

 中世の祇園社に伝わる資料によると、牛頭天王(武塔(むとう)天神)は天刑星(陰陽道の鬼神)が北天竺(てんじく)摩訶陀(まがだ)国(現在のインド・ガンジス川流域)の王として現れた姿で、南海娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の娘を后(きさき)に迎えるための旅の途中、夜叉(やしゃ)国(広達国)で宿を借りようとして拒絶されたが、貧しい蘇民将来(そみんしょうらい)のみが一行を歓待した。無事に婚姻をはたした牛頭天王は、帰路にも蘇民将来を訪ね、疫病逃れの祭儀や呪術をさずけて、末代に自分が疫病神となって祟(たた)りをなす際にも、蘇民将来の子孫だけは護(まも)ろうと誓約したという。

 この牛頭天王の本性が素盞鳴尊(すさのおのみこと)であると記した最初の資料は、吉田兼方が13世紀後半に記した『釈日本紀』に引かれた「備後国風土記逸文(びんごのくにふどきいつぶん)」だ。「疫隈国社(えのくまのくにつやしろ)」の縁起で、先の説話の武塔天神が、自ら「速須佐雄神(はやすさのおのかみ)」と名乗ったとされる。ただしこの「逸文」は鎌倉期以降の偽作と考えられている。

 さて、この「逸文」のように素盞鳴尊と習合した牛頭天王信仰は、裸祭りで有名な黒石寺(こくせきじ)(岩手県奥州市)をはじめとして、東北各地に広がっている。

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 秋田県では、八郎湖南岸に鎮座する東湖八坂神社(潟上市天王)で7月に行われる祭礼(牛乗り神事・くも舞神事、コロナ感染予防のため今年も中止)がよく知られている。この神社が資料に登場するのは戦国末期以降で、古くは牛頭天王宮・天王堂・天王社などと呼ばれ、天王村という旧地名もこれにちなんでいる。

 祇園では疫病神として祀(まつ)られていた牛頭天王だが、秋田では性格を少し変え、農耕・雨乞いの神としての性格を強くしている。素盞鳴の八岐大蛇(やまたのおろち)退治神話は、河口付近で幾筋にも分かれた荒ぶる川の治水の問題が背後にあると指摘されているので、農耕・水との結びつきも納得できる。ちなみに八郎湖周辺では、この八岐大蛇退治と八郎太郎が習合したような伝説も多く見られるようだ。

 疫病の収束を願い、日々の平穏と幸いの祈りを起源とする祭り。今年こそ多くの人々とともに夏祭りを迎えたいと願っている。

【しだち・まさとも】1958年東京都生まれ。秋田大学教育文化学部教授(国文学)。著書に『「平家物語」語り本の方法と位相』、『〈歴史〉を創った秋田藩―モノガタリが生まれるメカニズム』、共著に『西行歌枕―その生涯と名歌の舞台を旅する』など。

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