集う人々・世界×文化(2)ヘミングウェイの不条理な実感(中尾信一)

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写真はスペイン・パンプローナの「牛追い」。肖像はヘミングウェイ
写真はスペイン・パンプローナの「牛追い」。肖像はヘミングウェイ

 「7月6日、日曜日の正午、フィエスタが爆発した。そう表現する以外に他の言い方はなかった」

 アーネスト・ヘミングウェイ(1899~1961年)の小説『日はまた昇る』(1926年)、物語のクライマックスとなる第15章の冒頭はこのように始まる。

 ◇  ◇

 ここでいうフィエスタ(祝祭)とは、フランス国境に近いスペインの都市パンプローナで毎年開催される「サン・フェルミン祭」のことで、現在でも100万人近い観客を集める宗教的な祭礼である。特に「エンシエロ」と呼ばれる「牛追い」の行事が有名で、白い服に赤いスカーフを首に巻いた人々が、直後から突進してくる闘牛に追い立てられながら狭い街路を全速力で駆け抜けていく映像は、日本のニュースでも取り上げられることが多い。

 小説中でこの街は、主人公のアメリカ人ジェイク・バーンズが、毎年この祭りのために休暇をとって日常の生活拠点であるパリを離れ、友人たちとともに、一週間余り続くこの期間に濃密に圧縮された情熱的な瞬間を経験する場所として描かれる。また周辺の農村地帯からも多くの農民たちが集い、ひたすらワインを飲み続け、見知らぬ人たちと酒場で語り合い、宗教的なパレードを見たり、街路で踊ったり、そして闘牛見学に興奮することで、普段の生活では表現できない感情を爆発させる。この祝祭は他の多くの祭りと同様、人々に普段の生活を忘れさせる非日常的な時間と空間を提供する。

 だが物語上では、この祝祭空間においても、それ以前のパリの生活で描かれていた複雑きわまる人間関係が継続する。特にジェイク、彼と最も親密でありながら彼の「性的不能」のためにその関係を成就することができない女性ブレット、彼女の魅力の虜(とりこ)となり翻弄(ほんろう)されるロバート・コーン、同様に彼女に惹(ひ)かれる才能に満ちた気鋭の若手闘牛士ペドロ・ロメロ、これらの登場人物が織りなす込み入った恋愛関係の物語が反復されていく。

 この享楽的で不毛とも言える人間関係には、ヘミングウェイ自身もその一員だった「ロスト・ジェネレーション(失われた世代)」の生き方を端的に言い表す「虚無感」、どこにもたどり着くことのない「無力感」、が濃厚に漂っている。そしてその背景にあるのは、1920年代を舞台とするこの物語が決して直接的に描くことはないものの、登場人物の行動や心理に決定的な影響を及ぼし、またジェイクの「性的不能」の原因となる負傷を引き起こした第一次世界大戦(1914~18年)の強烈な体験である。

 ある意味「戦争」とは、「祝祭」同様、そこに集う人々を巻き込む極めて非日常的な時空間でもある。戦争では常に「死」を意識せざるを得ず、その現場でしか味わえない「生」の強烈さは特権的なものとなる。パンプローナの祝祭においても、「生」はその期間において集中的・集団的に寿(ことほ)がれる出来事=瞬間ではあるものの、そこで繰り返し描写される闘牛の場面から嗅(か)ぎとられるのは、「死」の予感なのである。一見対極に位置付けられる「戦争」と「祝祭」は、いずれも「生」と「死」の劇的な体験という意味で、相互につながりあい、支えあい、反転しあっている。

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 そもそもヘミングウェイの人生自体、そのような激しい生と死の体験を追い求め続けた過程でもあった。それは、第一次世界大戦での体験や、フィエスタへの参加だけではない。その後のスペイン内戦(1936~39年)時の現地報道記者としての仕事や、第二次世界大戦末期にナチスドイツからのパリ解放に立ち会ったこと、さらに彼が愛した狩猟や闘牛でさえも、そこでしか触れ得ない非日常的な生と死の実感が存在したという意味で、似たような経験の繰り返しだったのである。

 生と死の激烈さとその反転を同時空間において実感したいというヘミングウェイの欲望と経験は、現在のコロナ禍や戦争における生と死をめぐる「不条理」な状況を、一世紀以上も前に先取っていたように見えないだろうか。

【なかお・しんいち】1965年愛媛県生まれ。秋田大学教育文化学部准教授(アメリカ文学・映画論)。論文に「快楽・健康・不安―ヘミングウェイと主体構築のテクノロジー」(『アメリカ文学とテクノロジー』)、「『国境の南』の物語―『境界線』の映画的表象をめぐって」(『アメリカ映画のイデオロギー』)

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連載企画:集う人々・世界×文化 秋田大学教育文化学部発

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