集う人々・世界×文化(3)無を有にする言葉の力(大橋純一)

 人の集う所には必ず言葉が介在する。その言葉は本来、人や社会で広く共有されるものでもある。たとえば共通語のように、誰もがそれとわかる言葉は物事の円滑な理解・伝達に寄与するし、それこそが言語の存在理由であるともいえる。しかし一方、志や嗜好(しこう)を同じくする者が集うと、それに即して言葉はたちまち個別化する。そのような場では、共通語とは異なり、むしろ特定の間柄でのみ通じ合える言葉であることが重要となる。つまり、言葉は単に意味を伝え理解する媒体にとどまらず、自分の拠(よ)り所(どころ)や相手との関係性を測る重要なバロメーターとしても働くのである。

 その意味において、方言や若者語は、それぞれの集いの中で形成されたきわめて個別性の高い言葉である。秋田県民は、日常の中で「んだんだ」(本当にそうだ)、「なんもなんも」(いやいや)と言葉を交わすことで“秋田らしさ”を共有し、自分の拠り所が確かにこの土地に在(あ)ることを実感するに違いない。また若者は、「ぴえん」(ちょっと残念、悲しい)、「とりま」(とりあえずまあ)といった固有の言葉を言うこと(言わないまでも分かること)で、自分がその世代・コミュニティーの一員であることを確認するのである。ともあれ、それぞれの集いの場で言葉が生じ、それによって各々が個別の帰属意識を持ち、心から「あー、言えたぞ、分かり合えたぞ」と思える言葉が在るというのは、大変に有意義なことだというべきであろう。

 ◇  ◇

 以上は人が言葉を創造するという話であるが、言語学では逆にその言葉が世界を切り取り、顕在化させると考える立場がある。「言語が世界を分節する」と言ったフェルディナン・ド・ソシュール(1857~1913年、スイスの言語学者で『近代言語学の父』と呼ばれる)の言説がそのひとつである。この立場に立つと、言語は単に実在の物を代用する記号ではなく、言語の側が物を実在たらしめ、新しい世界を創造しているということになる。ここで私が話題にしたいのは、実はその立場のことである。

 一例として、才色兼備の女性(主として中年以降)を指す「美魔女」という言葉を取り上げてみる。断っておくが、ここではこの語の是非や評価に関することを議論するものではない。考えたいのは、そこにどういう価値を置くにせよ、この言葉が在ることによって、これまで誰の手にも触れられなかった対象に形が与えられ、今や誰もが共通に認識できる概念世界が紛れもなくそこに在るということである(まさに上の挿絵のごとくに)。つまり言葉が世界を切り取り、顕在化させたのである。

 このように、言葉を通して事物の存在と認識が生まれるという言語観は、思い返せば日々の生活の中で、誰もが経験的に自覚し得ることではないだろうか。

 たとえば難局に直面したとき、われわれが「大丈夫、できる!」と言葉に表すのは、輪郭のはっきりしない現状の不確かさに何か形を見いだそうとする言語行為にほかならない。また受験や大会に向けて目標とする言葉を壁に張り出し、士気を高めるといった言語行為も、同じく視界のはっきりしない自分の行く末を言葉により“見える化”しようとする営みだと受け取れる。念ずれば(言葉にすれば)通ず―。要は言葉によって自分の進むべき対象が明確に浮かび上がり、認識され、それを口にし続けることで現実の形となることが、言語生活においては多々観察されるのである。

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 話が少し散漫になったが、以上には、まずは人の集いが言葉を形成すること、かつ小集団での分かり合える言葉を生むことの効用について触れた。次にそれとは逆に、言葉が新しく世界を生み出す側面のあることを確認した。

 残念ながら、今はコロナ禍にあって、人の集いや語らいそのことが大きく制限される時世である。しかしそうであればこそ、これまで見てきたような言葉の持つ力が、(言葉が既存の事物を代用すると考えるにせよ、新しい世界を生み出すと考えるにせよ)社会全体で共有されることが必要である。言葉というものが、この時代を人間らしく、より良く生きるための、ひとつの切り口となることを願うものである。

【おおはし・じゅんいち】1969年新潟市生まれ。秋田大学教育文化学部教授(日本語学)。主な著作に『東北方言音声の研究』(単著)、『空間と時間の中の方言』『生活を伝える方言会話』『音声言語研究のパラダイム』『音声研究入門』(以上、共著)など。

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連載企画:集う人々・世界×文化 秋田大学教育文化学部発

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