集う人々・世界×文化(4)ドイツ文学に描かれたウクライナ(中村寿)

 中・東欧は多民族が共存する空間、諸民族の集いの場である。しかし今、不幸な戦争の結果、諸民族が集えるはずの場所がそうではなくなってしまっている。以下ではドイツ文学を素材として、中・東欧の歴史を振り返ってみたい。きっとわれわれの国際理解にも有益なはずだ。

 かつてウクライナの一部はドイツ語圏に含まれていた。オーストリア帝国は第1次ポーランド分割(1772年)を通じて現在のウクライナ西部とポーランド南東部にあたる地域を獲得すると、新領土をガリツィアと名づけた。ここは主にポーランド人とウクライナ人によって構成される多民族社会であったが、前者が後者を支配する格差社会でもあった。ガリツィアは第1次世界大戦(1914~18年)でオーストリア=ハンガリー帝国(=二重帝国)が敗北し、継承諸国のチェコスロバキア、ハンガリー、ポーランド、オーストリア、ユーゴスラビアへと解体されるまで、146年間にわたって存続した。

 ガリツィア出身のユダヤ人で、ドイツ語で執筆した小説家ヨーゼフ・ロート(1894~1939年)の代表作に『ラデツキー行進曲』(1932年、邦訳は岩波文庫)がある。題名はオーストリア帝国の栄光をたたえたヨハン・シュトラウス1世の代表曲から採られた。小説の主人公はトロッタ一族の3世代。祖父・父・息子の世代を経ても変わらぬ祖国=二重帝国への忠誠がテーマである。

 祖父は戦場で若き皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の盾となる。この勲功が認められ、救国の英雄として貴族に叙せられた。父はとある行政区の郡長となり、土地における祖国の代理人として領土の管理に当たる。息子は軍人となり、陸軍少尉として第1次大戦の対ロシア戦で戦死する。

 軍人最高の栄誉は祖国のための死だが、息子の死に方は英雄の死からはほど遠かった。彼は味方のために井戸水をくんだところで狙撃され、バケツをもったまま水をかぶって死ぬのである。トロッタ3代の運命は祖国の栄光と崩壊に対応していよう。

 少尉の死はロートによる反戦メッセージとも取れるが、それだけでない。小説はロートにとって故郷の喪失を埋め合わせることでもあった。戦後のガリツィアは一時ポーランド領となるが、ドイツ語作家のロートにはオーストリア国籍が必要だった。新政府はユダヤ人に国籍を与えなかったため、彼は出自を詐称し続けた。根無し草となった彼はルーツ喪失への癒やしを故郷の記憶に求めたのだ。

 ロートが二重帝国への愛惜を募らせる背景には、諸民族の平和を懐かしむ想(おも)いがある。ガリツィアは多民族社会であったとはいえ、民族格差が甚大であったことから、諍(あらそ)いは日常のできごとだった。実際のところ、諸民族の和平が実現したことはなかったにもかかわらず、彼が多民族国家を祖国と定め、愛する理由を説明するためには、その後の中・東欧の歴史とユダヤ人としての彼の同一性を踏まえる必要がある。

 ◇  ◇

 帝国を引き継いだのは、民族を単位として建国されたいわゆる国民国家である。継承諸国の領土にはドイツ人やユダヤ人などが取り残された。継承諸国は少数民族の自民族化、民族と国家の一体化を進めなければならなかった。ドイツでは、国民は同一の国家・言語だけでなく、同一の宗教から構成されるというスペイン異端審問時代の呪(のろ)いが蘇(よみがえ)る。

 1930年代、ナチスの登場により、ユダヤ人ロートの居場所はなくなった。戦間期に比べたら、戦前のユダヤ人はまだ幸せだったのだ。ガリツィアへの郷愁を募らせつつ、ロートは平和を諸民族の集い、多民族国家に求めるようになっていったに違いない。

 戦争は人々から故郷を奪い、昨日までの隣人を敵にする。現在のロシアの侵攻により、ウクライナの多数の人々が故郷を奪われ、心身に深い傷を負ったことは、想像に難くない。筆者は、彼らに癒やしの日が訪れることを願わずにはいられない。そして、いつかウクライナ国家の庇護(ひご)のもと、この地にかつてロートが夢に描いたような諸民族の集い=平和の日が訪れることを願っている。

【なかむら・ひさし】1977年静岡県出身。秋田大学教育文化学部講師(ドイツ文学)。主な論文に「オーストリアの市民、ユダヤの国民『自衛―独立ユダヤ週刊新聞』」(『ドイツ文学』154)。「マックス・ブロートの『ユダヤの女たち』について」(『独語独文学研究年報』46)。

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