秋田の無農薬の米で究極の日本酒を造る 佐藤祐輔さん「新政酒造」8代目蔵元

撮影:菅原果歩

 全国の酒好き争奪の「新政」をつかさどる佐藤祐輔さんの今。「造り」の伝統的手法を蘇らせかつ挑戦をやめない唯一無二の蔵元に、秋田市河辺の鵜養(うやしない)で進行中のプロジェクトについてその発案から意図まで伺います。

「農/醸一貫化」を秋田の新しい産業に

 1852(嘉永5)年創業、秋田市大町の「新政酒造」は今、「農/醸一貫化」を果たすために、秋田市河辺の鵜養で無農薬の酒米作りに挑戦しています。

 東京で編集者・ジャーナリストをしていた佐藤祐輔さん(47)は、ある日突然日本酒に魅せられ、2007年に蔵に戻ります。秋田県産の酒米にこだわり、添加物をいっさい用いず、生酛(きもと)純米造りで、蔵発祥の、現存する酵母では最古の「きょうかい6号酵母」だけを使い、さらに木桶仕込みという伝統製法へと回帰します。さらにネーミングやラベルデザインを含めストーリー性のある商品開発と意欲的な情報発信で全国的に注目を集め、深刻な経営難に陥った酒蔵を再建しました。

 2015年から鵜養で取り組んでいるのは農業。しかも無農薬。自社田を持ち、地域の人と共に米作りから酒造りまでを一貫化し秋田の新しい産業にしようと夢見ています。現在、鵜養の酒米圃場は25町歩に広がり(1町歩は約9900㎡)、この地に将来、酒米専用の乾燥処理施設と木桶工房、酒蔵が建設される予定です。

藤の咲く頃はじまる田植えと除草のトライアル

 酒造りの最高責任者である杜氏だった古関弘さん(47)が、2017年より鵜養専任となり、酒米の無農薬栽培に奮闘してきました。

 去る5月22日、山形県酒田市の農機具メーカー「美善」と技術改良を重ねてきた除草機「(通称)ジュゴン」初起動の日。無農薬栽培なので田植えの3日後には除草作業が必要です。かわいらしく整列した苗の上を8つのステンレス製のチェーンで撫(な)で、苗の隙間はスパイラルローラーで擦(こす)り、水面下の草の芽を取り除いていきます。

 しっかりと根付いていない3日目の赤ちゃん苗にとって「ジュゴン」はとても危険。苗の犠牲を最小限に抑えるべく慎重に操作し、田に轍(わだち)をつけていくのは古関さんの仕事。潰した苗は穂をつけない。かつて村の仲間が大事に育てた苗を列ごと全滅させてしまった時の悲しい表情を、忘れられないと言います。

 特に自社のものではない田での除草において、古関さんの緊張と集中は壮絶でした。草の繁茂と密接な、田んぼ一枚一枚違う泥のコンディションにも敏感です。機上では立ち上がり、中腰になり、座って、前を向き、斜めを向いて、後ろを向いて…身体と眼差しをひっきりなしに動かしながらハンドルとスピードをコントロール。それをすべての田でおよそ7日おきに、7月半ばまで行います。雨が降り、風が強く、田の水面が輪とさざなみで光り、苗が見えない日も。

孤独と向き合っている

 古関さんは、自分は一つの役割を全うしているだけだと言います。人は孤独においてなかなか特別な底力を発揮できない。でももし例外があるとしたら、それは芸術家ではないか。ある日古関さんは、蔵元である佐藤祐輔さんはその孤独と向き合っている、と言いました。佐藤さんが蔵を再建し現在に至るまでの忍耐の、試行錯誤の道のりを古関さんは見てきました。

 古関さんに、田んぼに行くよう話したのは佐藤さんです。「新政酒造」の代表取締役である佐藤祐輔さんの今を知りたくて、大町の蔵に会いに行きました。


【佐藤祐輔さんインタビュー】

いいお酒を造るなら米作りから手がけないとダメだろう

 蔵に帰ってくる前から、農業には興味がありました。良いお酒の前提となるのは、良い原料米です。理想的な酒を造るため、私は無農薬栽培の米を必要としていましたが、秋田には無農薬の酒米はほとんどありませんでした。

 農家にお願いしても「不可能だ」の一点張り。そもそも秋田は「米どころ」とは言うけれど、実質的には大量生産の稲作県で、すでに農業技術は他県の名産地に比べて優れているわけではないのが現実です。行政の対策を見ても、新しい品種の開発ばかりです。私だったら、品種より栽培技術を高めるべきと考えます。最近できた品種より、以前とは比較にならないような厳格な基準で作られた「あきたこまち」の方が魅力的に思えます。こういった背景で、当時誰も無農薬栽培をやってくれる農家がなかったので、最終的に自社で田んぼを持つことになりました。

水の澄んだ限界集落「鵜養」

 「新政」の酒米を作っている「酒米研究会」というチームのトップ、河辺・和田近辺の高橋恒悦さんに連れて行っていただいたのが鵜養地区です。湿気が多く寒くて、大丈夫なのかなって思ったけれど、水が澄んでいて、上流にはもう何もない。ここは無農薬に最適な場所だと思いました。ところが「10年後、この村には誰も住んでいないだろう」と言われて驚きました。山間農村では米の収穫量は少なくなります。このため、農協に買い取ってもらうだけでは暮らしていけないのです。さらに高齢化のため過疎が進んでいきます。この村の荒廃を止めるには、何らかの産業が必要です。そういう意味で、我々がここで栽培された米を高い金額で買い取ったり、高付加価値の稲作のノウハウを開発することで、過疎を止められるのではないかと思いました。

 そこで2015年に、地元住民に酒米を栽培してくれるようにお願いしました。翌年には、無農薬栽培を行うために田んぼを借りることができました。しかし山間農村で素人が孤軍奮闘、農業をやるのは大変です。無農薬栽培は、雑草や虫などを抑えきれない場合は、周りに迷惑をかけてしまうことにもなります。地元住民の理解を得ることが必須なのですが、こうした大役を任せきれる人は珍しいのです。


では誰が秋田の無農薬の米を作るのか?

 そこで当時の「新政」の製造部長だった古関弘氏に白羽の矢が立ちました。当時彼は杜氏として5年目でした。彼の代になってから、より蔵がまとまって、部下も育ってきていました。あのまま酒造りをしてもらってもよかったのですが、冷静に会社の今後の成り行きを考えると、この新規事業に失敗したら先がないと思ったのです。

 初年度は、米を作るのと酒を造るのと同時にやってもらったのですが、やはり無農薬栽培までは無理があり、完璧にはいきませんでした。杜氏との掛け持ちは無理だなと感じたので、2017年からは完全に蔵の現場を離れて田んぼに行ってもらいました。おかげで、量は取れなかったけれど、無農薬のお米を初めて収穫できたのです。翌年、翌々年もなんとか成功して無農薬が軌道に乗り、他の農家の方も始めてくださり、現在は鵜養の酒米全量が無農薬になっています。25町歩もの無農薬の圃場が1ヵ所に集中している地区は、秋田県の中でもここしかないのではないでしょうか。

縁の下の力持ち

 私が蔵に帰ってきた時は、あと3、4年で債務超過になってしまうようなタイミングでした。会社を救うためには、経費削減ではとても間に合わず、一刻も早くお客さまの心をつかむようなヒット作品を生まなければならない状況でした。当時は自宅にもまったく帰らずに、会社に泊まり込んで一日中仕事に没頭していました。日中は酒造りをして、夜は経営状況の確認をし、さらに啓蒙活動としてブログも書きまくっていました。仕事が多すぎて手に負えなくなりデザイナーを雇用する前は、デザインまで自分ですべてやっていました。おかげで非常にマニアックな世界観が構築され、熱心なファンがついてくれたように思います。

 一方、組織作りには長年苦しみました。そもそも自分が組織的な人間ではないせいか、自分と馬が合うような社員ほど、長居しない傾向にあるようです。機転が利いて目立つ人材も良いのですが、本当は会社を縁の下で支えるような社員こそが、会社の永続に重要だということを悟り、だんだんとバランスが取れた組織になってきたのかなと思います。

一度心が壊れて

 組織力が必要だなと思ったきっかけは、かつて働きすぎで心神喪失になったからでもあります。2015年にパニック障害と全般性不安障害を発症して、半年ほど会社に出られませんでした。普通に働けるようになるまで2年くらいかかったうえ、その後も軽度の疲労症候群のような症状は消え去りません。体力仕事は不可能になり、できる仕事はディレクションが主になってしまいました。しかし今から思い返してみると、それも良い経験だったと思います。

 おかげで人を頼り、他人に感謝するようにもなりました。なによりチームとして業績を上げていくことを学びました。現在、当蔵は酒造りだけではなく農業を行っていますし、これからは木桶づくりと林業を手がけてゆくことになりますが、これも当社が本当の意味でチームとして機能し始めてから可能になったことです。ひどい経験をしましたが、経営者としては成長できたのではないかと思います。



また秋田の人が飲みたい時に飲める酒にならないか

 これに関してなのですが、地元秋田は東京市場に次ぐ出荷地です。県内14軒の日本酒専門店でお取り扱いいただいています。しかし基本的に私は秋田の日本酒は、秋田県に残された数少ない外貨獲得の手段と考えていますので、秋田で飲まれるより県外で飲まれたほうが、秋田のためになると思っています。お酒が広く流通することで、県外はおろか海外からも熱心な日本酒ファンの皆さまが、この「陸の孤島」といわれる本県にやってきます。当蔵の無農薬の田んぼを見るため、あるいは蔵を見るため、酒場で秋田の酒をたしなむため足を運んでくれるのです。これによる経済効果は計り知れません。高齢化が深刻な本県は今後、特産品と観光事業にもっと力を入れていかねばなりません。そうでないと、全国の都道府県でも最速で経済崩壊する可能性が高いでしょう。

【おまけ】

Q あと一つだけ。好きな詩集か小説を1冊挙げてください。
A 宮沢賢治の「なめとこ山の熊」です。鵜養で栽培している米「陸羽一三二号」は秋田生まれの米ですが、宮沢賢治が愛した米としても知られていて、縁があるなと感じています。


絵:佐藤豊
テキスト:熊谷新子



一〇八二〔あすこの田はねえ〕
宮沢賢治


あすこの田はねえ
あの種類では窒素があんまり多過ぎるから
もうきっぱりと灌水を切ってね
三番除草はしないんだ
  ……一しんに畔を走って来て
    青田のなかに汗拭くその子……
燐酸がまだ残ってゐない?
みんな使った?
それではもしもこの天候が
これから五日続いたら
あの枝垂れ葉をねえ
斯ういふ風な枝垂れ葉をねえ
むしってとってしまふんだ
  ……せわしくうなづき汗拭くその子
    冬講習に来たときは
    一年はたらいたあととは云へ
    まだかゞやかな苹果のわらひをもってゐた
    いまはもう日と汗に焼け
    幾夜の不眠にやつれてゐる……
それからいゝかい
今月末にあの稲が
君の胸より延びたらねえ
ちゃうどシャッツの上のぼたんを定規にしてねえ
葉尖を刈ってしまふんだ
  ……汗だけでない
    泪も拭いてゐるんだな……
君が自分でかんがへた
あの田もすっかり見て来たよ
陸羽一三二号のはうね
あれはずいぶん上手に行った
肥えも少しもむらがないし
いかにも強く育ってゐる
硫安だってきみが自分で播いたらう
みんながいろいろ云ふだらうが
あっちは少しも心配ない
反当三石二斗なら
もうきまったと云っていゝ
しっかりやるんだよ
これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさやうなら
  ……雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ……

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