あの日の六郷飛行場(上)「児童まで使う国力とは」 敵機の機銃掃射受ける

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 先月4日、本紙くらし欄「えんぴつ四季」に「六郷飛行場」と題した読者からの投稿が載った。太平洋戦争末期、現在の秋田県美郷町六郷東根に陸軍が造成を進めた飛行場だ。投稿をきっかけに、当時の記憶を寄せてくれた人たちに話を聞いた。上下2回。

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「えんぴつ四季」に投稿を寄せた太田さん

 投稿したのは、秋田市楢山本町に住む太田皓士(こうじ)さん(85)。大曲国民学校(現在の大仙市)2年生だった1945年、6年生の姉が六郷飛行場の造成工事に動員された日の出来事をつづった。

 45年春に始まった造成には、近隣の児童らが手作業で協力した。7月15日、米国の艦載機に発見されて機銃掃射を浴びたが、子どもたちを含め、作業中だった人たちは逃げて死傷者はいなかった。

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