集う人々・世界×文化(12)グローブ座という融和の器(佐々木和貴)
1599年、ロンドンのテムズ川南岸にグローブ座という新たな劇場が建った。Globeとは地球・世界という意味だが、シェイクスピアの名作が次々と上演されたため、そこはまさに世界を映しだす劇場となった。照明も背景もない簡素な張り出し舞台を「平土間(ひらどま)」と呼ばれる立ち見席が囲み、さらにその周りを3層の桟敷席が取り囲む構造で、収容人数は3千人を超えたと言われている。
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ではそこに集ったのは、どのような人たちだったのだろう。まず、青天井の平土間には、1ペニー払えばだれでも入ることができたので、徒弟とよばれる10代後半から20代前半の若者たちが大勢詰めかけていたようだ。彼らは安い賃金で技術習得のために親方の下で働いており、当時の熟練工の日給1シリングの12分の1という手頃な値段で楽しめる観劇は、彼らにとって最大の娯楽だったのである。また平土間には職人、人夫、荷馬車屋などの労働者階級に加えて、売春婦、スリなども紛れ込んでごった返していた。そのなかを売り子が、オレンジ、ナッツ、瓶ビールなどを売り歩くのだから、今なら野外のロック・コンサートのような、熱気に満ちた、そして騒然とした雰囲気だったのだろう。
一方、屋根のある桟敷席の木のベンチに座ってゆっくり芝居を見ようとすれば、桟敷席入り口でさらに1ペニー支払う仕組みになっていた。こちらは商人やその妻、学生、法律家、軍人など、ロンドンの中産階級向けだったと思われる。かれらの大半は読み書きができ、シェイクスピアの台詞(せりふ)を聴き取って、楽しむことができる観客層だった。
さらに6ペンス(ペンスはペニーの複数形)支払えば、最上の席(舞台に近い仕切りの桟敷か、ときには舞台の真上の2階部)に案内され、誰にも邪魔されずに間近で芝居を鑑賞することができた。そして一つの芝居を見るために、これほどの額を支払えるのは、富裕な市民や紳士階級、貴族、宮廷人たちだったことはいうまでもないだろう。
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もちろん、こうした広範な層の観客を同時に満足させるのは容易なことではない。しかも彼らは、現代の劇場の観客のように静かに舞台を鑑賞していたわけではなかった。
たとえば、グローブ座のこけら落としの演目となったローマ史劇『ジュリアス・シーザー』のなかで、シェイクスピア自身が「あの有象無象(うぞうむぞう)の連中ときたら、あの男が気に入れば拍手し、気に入らなければ野次(やじ)り倒す。まるで芝居小屋の役者を相手にしたような騒ぎだ」と、当時の観客の振る舞いに触れた台詞を残している。つまりこのころの観劇では、観客は役者の演技や台詞に反応して、芝居の進行に介入することも稀(まれ)ではなかったのだ。
そしてシェイクスピアは、こうした多様で厄介な客層を相手にしながら、平土間の観客の目を楽しませるスペクタクルと、桟敷席の観客の耳に美しく響く無韻詩(1行のうちに弱強のリズムが5回繰り返される詩形)を、一つの劇のなかで両立させるという離れ業をこなしていたのである。たとえば『ハムレット』は、平土間の観客にとっては、亡霊の出現に始まり、派手な決闘で終わる見どころ満載の芝居であり、桟敷席の観客にとっては、主人公ハムレットの沈鬱(ちんうつ)な名台詞が聴きどころの思索的な芝居だったろう。
シェイクスピアはこうして、視覚と聴覚に同時に訴えかけることで、グローブ座に集ったすべての人たちに魔法をかけ、ひとつの劇世界へ巻き込んでいたのである。
そして400年の時を超えてなお、彼の芝居は世界中で演じられ続けている。いやむしろ、戦争によって世界が、そしてコロナによってひとりひとりが「分断されて」いる今だからこそ、私たちは一層切実な思いで、シェイクスピアの劇場に集うのではないだろうか。人々を感動でひとつに「結びつける」彼の魔法に、闇に抗する希望の光を見いだして。