メディアとしての英国の証言劇(秋田大・大西洋一) 真実を知るために劇場へ
コロナ禍で集うことが禁じられていた劇場に、ようやく観客が戻ってきた。シェイクスピア戯曲あり、20世紀の名作あり、新作ありの英国の舞台で近年重要性を増しているのが、事実調査に基づいて現代の社会事象を扱う「ドキュメンタリー演劇」である。
とりわけ「ヴァーベイタム・シアター」というジャンルが演劇界を席巻している。ヴァーベイタム(verbatim)とは「言葉通りに」「一言一句違わず」という意味で、取材によって得た当事者の「言葉」を忠実に用いながら、それらを演劇的に再構成して作るドキュメンタリー演劇の一形態だ。日本語で「証言劇」「報告劇」と訳される。このジャンルでも活躍しているのが、現代英国を代表する劇作家デイヴィッド・ヘア(1947年生まれ)だ。
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彼には「ヴァーベイタム・シアター3部作」と呼ばれる作品がある。鉄道民営化後の過度な効率化と利益追求が引き起こした度重なる事故のてんまつを追った「軌道」、イラク戦争に踏み切った米国の姿を、ブッシュ大統領をはじめ各国指導者の発言で描き出した「よくあることさ」、リーマン・ショックと世界金融危機の実態を精査した「イエスの力」である。

そのデイヴィッド・ヘアが、イギリスがロックダウンに向けて動きだした2020年3月16日に新型コロナウイルス感染症を発症した。彼は自らが「証言者」となり、16日間に及ぶ闘病体験と当時の政府の混乱した対応への思いをまとめた一人芝居を書き、同年8月にロンドンのブリッジ・シアターで上演した。名優レイフ・ファインズが主演したこの戯曲の題名は、往年の映画から借りた「悪魔をやっつけろ―COVIDモノローグ」。公演はチケットが完売になるほど人気を博し、後にテレビ映画化もされた。日本では社会派演劇の雄として名高い劇団「燐光群(りんこうぐん)」主宰で劇作家の坂手洋二氏により、昨年各地で上演された。

「目が覚めて、口の中の下水の味を洗い流そうとする」という言葉で、ヘアのモノローグは始まる。発症患者は、味覚障害や極度の倦怠(けんたい)感、高熱、吐き気などで苦しむのだが、さらに病気の「狂乱段階」に入るとさまざまな症状がでたらめに襲ってくるという。まさにこのウイルスは、体の中に投げ込まれて大混乱を引き起こす一種の「放射能爆弾(ダーティ・ボム)」であり、人体を攻撃するメカニズムに皆目見当がつかなかった時点では、中世の時代に人間に取り憑(つ)いた悪魔のようなものであったのだと、当事者だからこその実感がこもった言葉で言い表している。
さらにヘアの言葉に熱が入るのは、政府の失策の数々に矛先が向く時である。ジョンソン首相(当時)率いる保守党政権が、彼の病状と軌を一にして狂乱段階にあったことを、「生き残った者の怒り」をもって糾弾する。入国制限を徹底せず、集団免疫に甘い期待をかけ、大規模な人々の集まりを容認していたが、国内の死者が25万人に達するかもしれぬことを悟り、あわてて政府は遅きに失したロックダウンに踏み切ったのだ。ヘアは言う。「誰のせいかはわかっている」
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最終的にヘアが焦点を当てるのは「真実」の問題、言い換えれば「公職」(public life)と「虚言」(untruth)との関係である。首席医務官リアム・ドナルドソンはこう語る。「人間は過ちをおかすものだが、それを隠すのは許されざることであり、ましてやそこから学ばないのは弁明の余地がない」

ヘアは、過ちを覆い隠す政府の言葉を「政府語(ガバメント・スピーク)」と呼ぶ。最悪の例が、医療現場で個人防護具が不足したために集団感染や多くの医療従事者の死を招いたことの責任を問われた内相プリティ・パテルの返答である。「そのように思われたのであれば残念です」。保身に走り、決して自分の非を認めようとはしない傲岸(ごうがん)不遜な政治家の言葉である。
遺族の傷を癒やすのは、「真実」を包み隠さず述べることだと学んでいないのかとヘアは問いかける。劇の最後にヘアは「これから私は悪魔をやっつける」とペンを執るが、それは失政を認めることができず、この病魔に誠実に対処することのできない政権への痛烈な批判となっている。
このようにイギリス演劇の中には、現在の問題について観客に情報を提供し、議論を促す「メディア」の役割を果たすものも存在する。劇場という「フォーラム」に集い、これまで知らなかった人々の言葉に耳を傾け、じっくりと考えを巡らすのも、充実した演劇の楽しみ方であるのだ。
※写真は各作品の台本の表紙