【東京舞台さんぽ】「橋づくし」 東京の変貌を象徴する築地周辺

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三吉橋に立つ小喜美さん。「橋づくし」の石碑(左)もある=東京都中央区
三吉橋に立つ小喜美さん。「橋づくし」の石碑(左)もある=東京都中央区

 三島由紀夫の作品では珍しく花柳界を扱った短編小説「橋づくし」(1956年発表)。中秋の名月の夜、家を出て七つの橋を渡り切るまで口を利かずにいられたら、望みがかなうと、願を掛ける4人の女性の物語だ。舞台となった東京都中央区の築地周辺を巡った。(共同通信=藤原朋子)

 4人が渡った最初の橋は三差に架かった三吉橋。2辺を渡るため二つに数える。橋は姿を変えて残るが、その下を流れていた築地川は埋め立てられ、首都高速道路が設けられた。

 築地育ちの新橋芸者で半世紀以上活躍する小喜美さんと待ち合わせたのは、この橋の上。小喜美さんは「夕方、かき船が係留し、灯籠が川面に映っていました」と往時を振り返る。たもとには、本作の石碑があるが、三島が「川水は月のために擾(かきみだ)されている」と記した風情は今はない。小喜美さんは「水辺の暮らしが恋しい。首都高に水を通したいくらいよ」と冗談交じりに語った。

 他の、五つの橋のうち、築地橋と入船橋は架道橋として存在するが、関東大震災後に復興事業で架けられた暁橋、堺橋、備前橋は石柱を残すのみ。埋め立て地には築地川公園が造られ、スポーツや憩いの場になった。

 小説で、残った2人が最後に渡ろうとしたのが備前橋。川向こうの左側に見えた築地本願寺を「青い円屋根が夜空に聳(そび)えている」と三島は描写した。建築家伊東忠太の設計で知られる本堂のこと。古代インド仏教様式で、屋根の形は菩提樹の葉がモチーフという。三島が目にした建築を今も見られることに安心感を覚える。70年に自決した三島の葬儀は翌年、ここで営まれた。

 震災復興、埋め立て、首都高建設と東京の変貌ぶりを象徴するかのような築地周辺。小喜美さんの言葉を思い出し、ふと、水をたたえた築地川を見たいと橋に願を掛けてみたくなった。

【メモ】築地本願寺は本堂に靴のまま入り、着席でも参拝できる寺の先駆けという。

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