知られざる東海林太郎 没後50年:[社会派歌謡]離村の悲しみを歌う

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奥多摩湖畔に建立された石碑「湖底の故郷」の除幕式に参加する(左から)東海林太郎、鈴木武男、島田磬也=「東海林太郎 影像の世界」より、1966年4月10日撮影
奥多摩湖畔に建立された石碑「湖底の故郷」の除幕式に参加する(左から)東海林太郎、鈴木武男、島田磬也=「東海林太郎 影像の世界」より、1966年4月10日撮影

 東海林太郎の作品に、1937(昭和12)年6月に発売された「湖底の故郷」という歌がある。この名曲は、東京の発展に翻弄(ほんろう)された人々の悲しい歴史から生まれた社会派歌謡といえる。

 ◇  ◇

 東京市の人口は32(昭和7)年10月に550万人を超えた。人口増加にともない飲料水など生活用水の確保が課題となった。そこで東京市では、奥多摩の小河内(おごうち)村(約600世帯、3千人、現奥多摩町)を湖底に沈め、そこを小河内貯水池として利用する計画を打ち出した。

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