秋田市中心部に空襲計画 米軍戦闘計画書で判明「終戦遅ければ実行も」

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 太平洋戦争末期、米軍が秋田市の中心市街地への爆撃を計画していたことが、日本の都市空襲を研究している工藤洋三さん(72)=山口県周南市=の調査で分かった。工藤さんは「終戦があと1、2週間遅ければ、計画が実行されていた可能性がある」と指摘する。

米軍が撮影した秋田駅周辺の航空写真。四辺に目盛りが打たれており、計画書の数字を当てはめると爆撃中心点を読み取ることができる(いずれも工藤さん提供)

 工藤さんは1998年、米国アラバマ州の空軍基地にある資料室で、45年8月10日に立てられたとする戦闘計画書を入手。そこには爆撃の目標として「AKITA/TSUCHIZAKI」の文字が記されていた。

 また10年ほど前には米国立公文書館で、45年7月24日に米軍が撮影したとする秋田、土崎駅周辺の航空写真を手に入れた。

 計画書には、爆撃中心点として6桁の数字が二つ記されている。それを航空写真に付された座標の目盛りに当てはめると、片方が指し示すのは、秋田駅から西へ約900メートルの地点で、現在北都銀行本店がある付近(中通)。もう一方の数字は、土崎駅から南へ約600メートルの土崎病院がある付近(土崎港中央)を示す。

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