知られざる東海林太郎 没後50年:[歌手人生の救世主]レコード会社の取り合いに

連載:知られざる東海林太郎 没後50年
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東海林太郎が歌手として飛躍するきっかけをつくった作曲家の田村しげる(「白い花の咲くころ」より)
東海林太郎が歌手として飛躍するきっかけをつくった作曲家の田村しげる(「白い花の咲くころ」より)

 東海林太郎の初のレコード録音は、ニットーレコードで1933(昭和8)年3月6日に吹き込んだ「宇治茶摘唄」だと言われている。初のレコード発売曲は翌7日に同社で録音した「遠き日の夢」であった。レコードレーベルには「東海林太郎」とあるが、本名ではなく「とうかいりんたろう」という芸名として使っていた。

 ◇  ◇

 この時の録音は東海林にとってアルバイトのようなものだったため、ニットーの専属歌手のテストを受けた。しかし、「歌はイケそうなんだが―なにしろ年を食いすぎているんで、ちょいと無理だなぁ―」(田村しげる「白い花の咲くころ」音羽サービスセンター、70年)という結果であった。

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