東日本大震災の被災地の12年を短歌に 除染に携わった大仙市の男性
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秋田県大仙市協和の鈴木仁さん(62)は、東日本大震災後に福島県で復旧作業に携わったのをきっかけに、被災地に通って短歌を詠み続けている。地元紙などに投稿し、掲載された作品も複数ある。鈴木さんの歌から被災地の12年をたどった。
鈴木さんは若い頃から詩や俳句を作ってきた。震災後、勤務する建設会社の仕事で福島県内の道路工事や除染作業に従事。2012年4月から1年ほど、南相馬市など相双地域に暮らした。当初は「福島の歴史を知らない部外者が作品にしていいのか」と、震災をテーマにすることにためらいがあったという。
津波から逃れし児童公園も放射線量赤く示せり
ある日、相馬市の小さな公園で線量計のデジタル表示が目に留まった。「何げない日常に震災の跡がある。そんな風景を詠むことで、自分にも伝えられるものがあるのではないか」。そこから、とにかく歌を作り続けた。
ここが居間ここが玄関ここが風呂津波に消えし家ある如く
イエスタディ・ワンス・モアふと聞こえ来るコンビニトラック昼を告げおり
現地は津波で建物が流された跡や、がれきの山だらけだった。現場の一つだった南相馬市小高区は、東京電力福島第1原発事故で住民避難を余儀なくされた。
コンビニは閉まり、トラックが来て商品を販売した。到着の合図に流していたのは、昔を懐かしむ曲。人けのない街に流れるその曲が印象に残った。一期一会の関係も多かったが、一緒に働いた人たち、地域の人たちの顔は今も浮かぶという。
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