知られざる東海林太郎 没後50年:[戦時歌謡]「兵隊もの」続々登場

連載:知られざる東海林太郎 没後50年
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南京放送局で歌う東海林太郎=1939年9月19日、東海林太郎音楽館所蔵
南京放送局で歌う東海林太郎=1939年9月19日、東海林太郎音楽館所蔵

 1937(昭和12)年7月に日中戦争が始まると、レコード各社は戦争を題材とした戦時歌謡を発売した。東海林太郎も戦時中には、従来の日本調と戦時色とを合わせた戦時歌謡を歌うこととなる。

 ◇  ◇

 同年12月に南京が陥落しても、国民党政府の蔣介石は首都を重慶に移して徹底抗戦の構えを崩さなかった。38(同13)年4月7日から6月7日まで江蘇省、山東省、安徽省、河南省で日本軍は中国軍と激戦を繰り広げた。この間の5月19日に日本軍は徐州を占領した。

 この徐州会戦に作家の火野葦平は陸軍伍長として参戦し、他の兵士に見られないようにしながら、行軍する兵士たちの姿を赤裸々に描いた。それが戦記文学『麦と兵隊』である。

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