「家族を想う、刺し子の美 ~ 近藤陽絽子さんに会いに」取材・文:佐藤春菜

連載:ハラカラ 第43号 Mar 2023

写真:大谷広樹

元は娘の幸せを願い嫁ぐときに持たせたという「花ふきん」。「民藝刺し子」の伝統的技法を継承する近藤陽絽子(ひろこ)さんは、今日も針と糸で新しい模様を表現します。

願いや工夫から生まれた模様

 東北で暮らし始めて出合った書籍『嫁入り道具の花ふきん 秋田に伝わる祝いの針仕事』(暮しの手帖社)。閉じこもりたくなるような冬の日に、こんなにも美しい刺し子模様が秋田で生まれていることを知り、心が躍るようにうれしく温かい気持ちになったことをとてもよく覚えています。著者は秋田市在住の近藤陽絽子さん(83)。昔からの技法を元にいくつものオリジナル模様を考案し、40年以上、刺し子の指導を続けてきました。

 陽絽子さんが生まれ育った大館市周辺で、嫁ぐ娘にもたせていたという「花ふきん」には、「亀甲」や「角麻(かくあさ)の葉」など、伝統的な祝いの模様を赤い糸で施す風習がありました。針仕事の手本となったことはもちろん、大人数での箱膳での食事が主だった当時、嫁ぎ先の食器の持ち主を間違えないよう、目印にかけたものでもあったと言います。

 こうした「模様刺し」と呼ばれる刺し子と、擦れやすい袖の縁や肘への補強や、温かくするために施されたと考えられている「地刺し」と呼ばれる刺し子。それらは、陽絽子さんにとって、幼い頃に祖母から習った手仕事のひとつでした。

フヨウの花を「模様刺し」で刺したいと、夢に見るほど悩んで作ったという図案と、実際に刺し子を施した花ふきん。


威張らない

針と糸で施していく刺し子。「機械で刺したようにぴしっと真っすぐではない針目も、柔らかくていいよね。手の仕事だなと思います」(陽絽子さん)

 本格的に刺し子を始めたのは、大好きだった祖母を亡くしてから。夫の勇吉さんが、「ばあさんに教えてもらったものを楽しめばいい」と、泣いてばかりいた陽絽子さんの背中を押してくれたことがきっかけでした。秋田県内の針上手を訪ね、祖母から習った刺し方が正しいかを確認し、祖母を想いながら刺す日々。やがて丁寧な仕事は評判となり、カルチャースクールや公民館での指導を任されるようになります。

「教えるようになってから私らしいものを、と思っているうちに、考えるのが楽しくなって」と、今も尽きない模様のアイデア。糸のかけ方や組み合わせをほんの少し変えただけで形が変化するため、可能性は無限です。

「花ふきんの模様は、暮らしが少し豊かになって、綿が手に入るようになってからできたと考えられますから、粗末なもののはずがないんですね。品格もあって、でも今の生活の中に居場所があるかなと想像しながら考えます。居場所のないものは〝用〞に立たないわけだからね。ワンポイントの刺繍よりも、昔ながらの隅から隅まで丁寧に刺してあるものの方が好きだし、邪魔にならないと感じます。威張っていないもんね」

家族を想うためのもの

 過去には推薦を受け、「日本民藝館」に飾られたことも、物産展などを通じて多くの人の手に渡ったこともありましたが、「刺し子は生活の中にあるもの」と、今は販売することを望みません。作品展やSNSでの発表もしたくないと話します。

300枚にのぼる模様サンプルの刺し手は、陽絽子さんと、生徒の杉原克子さん(76)。写真は「地刺し」

「昔は家族を想って刺したもので、こんな作品ができましたよ、と外に自慢をするものではなかったと思うんです。夫に『おや、その模様っこいいこと』と言われることで心が潤い、家族の関係を温めたものであったはず。それは奥ゆかしさを教えてくれるものでもあったと思うんです。これからどう思われていくかはそれぞれの考え方だけれど私はそう思って生きてきました」

 今も、刺し子を残したいという気持ちよりも、刺していると祖母のことを思い出して落ち着けると話す陽絽子さん。「ばあさんは、頭ではなく手に仕事を教えろと言う人でした。生徒さんも、自分が好きな模様であれば、刺しているものがあったかいと手が感じるはずなの。暮らしの中にその模様があると何か心がほっとする。そうやって自分が好きなものを見つけて、楽しみながら続けていってほしいです」

心地よく楽しみ愛おしむ

「地刺し」は、チャコペンなどで下線は引かず、手の感覚で刺した針目に糸をかけて模様を作ります。

 新しく習いたいという問い合わせは絶えないと言いますが、「長く続けないとできない模様もたくさんあるので」と、現在新規の募集は受け付けていないそう。「まずは書籍の図案を見ながら、自分が心地よく刺せる針目の大きさや数を見つけて、真っすぐ刺す練習をするといいですね。何年も続けている生徒さんの中から、将来指導できる人が育っていくことも期待しています」

「本当に楽しいですよ」と、陽絽子さんは終始笑顔を絶やさずに、愛おしそうに刺し子に触れます。「身近にある、古いものにも魅力があることも感じてもらいたいなと思います。陶器もね、買った時よりも使っていると馴染んでくるし、艶が出てくる。ふきんも、だんだん優しくなっていきますよ」

 身の回りにあるものから生まれた、ささやかな潤いであり願いであった刺し子。技術と想いは、陽絽子さんを通じて手から手へ受け継がれていきます。その丁寧さを愛おしみ、楽しみ、家族を想う時間が生活の中にあることが、何より豊かであること。東北で暮らしていることの幸せをあらためて感じさせてくれる時間でした。

藍木綿に平安時代からの吉祥模様「七宝」を施した「模様刺し」の「花ふきん」。陽絽子さんは40年以上電気釜にかけ愛用しているそうで、生活の中で優しい色合いに変化してきました


生徒の田口賀恵さん(92)が、兄弟家族に贈りたいと刺した小物入れと巾着。陽絽子さんが栗やお茶で染めた糸が藍の布に美しく映えています。台所でできる草木染めも、祖母から習いました


「昔はチャコペンのような道具はないから、畳んだ折り線で作れる模様を考えたと思います。今はそうする必要はないけれど、そういうものだったと知ると、愛おしみ方は変わりますよね」(陽絽子さん)


近藤陽絽子(こんどう・ひろこ)
1940年、大館市生まれ。秋田市在住。小学4年生の頃から祖母に手仕事を習い、主婦業の傍ら和裁や洋裁などを楽しむ。20代で祖母を亡くした後、その教えを確認するように県内の針上手を訪ね歩き、各地に伝わる刺し子模様を元にした「民藝刺し子」にいそしむ。以来独自に模様を考案し続け、その数は1000種以上に及ぶ。1983年さきがけカルチャースクール開講時に民藝部門の講師、現在もカルチャースクール専任講師。著書に『嫁入り道具の花ふきん』(暮しの手帖社)。

取材・文:佐藤春菜(さとう・はるな)
北海道旭川市出身。国内外の旅行ガイドブックを編集する都内出版社での勤務を経て、2017年より夫の仕事で拠点を東北に移し現在は盛岡市在住。編集・執筆・アテンドを行う。秋田市文化創造館のWEB連載「秋田の人々」、Webマガジン「コロカル」などで活躍中。

撮影:大谷広樹(おおたに・ひろき)
岩手県水沢市(現奥州市)出身、盛岡市在住。大学卒業後に写真を学び、後に写真家・雨堤康之氏に師事。北東北エリアマガジン「rakra」、八幡平市フリーマガジン「ハチクラ」など、現在は東北をおもなフィールドにフリーランスで広告分野を中心に活動。

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