日本海中部地震#1 「死ぬかもしれない」 揺れ、恐怖…強烈に残る記憶

日本海中部地震から40年の節目に合わせ、秋田魁新報は交流サイト(SNS)を活用して地震の体験談を募った。秋田県内外の男女191人が、今なお鮮明に残る強烈な記憶を寄せてくれた。当時の揺れのすさまじさや、津波で犠牲者が出たことへのショックの大きさがまざまざと伝わってくる。※かっこ内はいずれも当時の年齢。(デジタル編集部・喜田良直)
#2は「日本海側に津波はこないと思っていた」
地面が次々と割れ、車はぺちゃんこに
多くの人がつづったのが、揺れの大きさや激しさへの恐怖だ。命の危険を感じたという人もいた。

「能代市内の中学校で球技大会の最中でした。ドーンという音と同時に地球が沈んだように床が下がって、私は転がりました。窓からガラスが落ちました。何とかして起きたら、今度は立って歩けないほどの横揺れが始まり、四つんばいになりながら体育館の外に出ました。ゴーゴーという地響きのような音が鳴っていて、体育館はぐにゃぐにゃ曲がって見えました。鉄棒があったのでつかまったけれど、地割れとともに鉄棒が倒れました。地面が次々と割れていき、落ちないように必死でした。『死ぬのかもしれない』と思いました。先生の姿が見えて、『こっちだー!』とグラウンドを指すので必死で走りました。そこでようやく友だちと会い、地震も少し収まりやっと呼吸できた気がしました」【県北50代女性(13歳)】
「JR秋田駅前にあったドーナツ店でアルバイト中でした。ドーナツを揚げるフライヤーの油が左右に揺れ、床が油まみれになったのを覚えています。すぐ向かいにある駐車場のブロック塀が倒れ、数台の車がぺちゃんこになったのも衝撃的でした」【秋田市50代男性(19歳)】

「中学校の音楽室(1階)にいた。カーペットだったのでズックを履いておらず、靴下のまま窓から飛び降り外に逃げた。地震とは思わずゴジラでもやって来て学校を壊してるの?と映画の中にでもいるような感じだった」【県央50代女性(13歳)】
「運動会の練習をしていたのですが、外でも分かるぐらいの大きな揺れを感じました。学校のプールに目をやると、洗面器に入れた水のように右へ左へ跳ね上がっていたのを今でも鮮明に覚えています」【秋田市40代女性(10歳)】
「いきなり揺れを感じ、しかも相当強い揺れが結構長く続いたので、もしかしたらこのまま下敷きになって死ぬかも…と、一瞬ですが、そんな思いがよぎりました」【県北60代女性(20歳)】