北斗星(9月24日付)
8世紀末から9世紀初めにかけての落とし物だった可能性が指摘されている。送り主は出羽国(本県、山形県)、宛先は下野国(栃木県)の国司と記されているが、通信や輸送の手段が発達していなかった当時はたどり着くことが難しかったのかもしれない
▼約1200年前の木簡が福島市の集落跡の遺跡で出土した。当時陸奥国だった福島には、出羽から下野を通り近畿につながる東山道があった
▼木簡は一部判読できないが、朝廷の命令で陸奥国や出羽国に派遣された兵士を指す「鎮兵(ちんぺい)」の文字が記され、朝廷と対立していた蝦夷(えみし)に対する防衛に関連した書状とみられる。これが落とし物だとすれば、落とし主は青ざめたことだろう
▼「秋田県の歴史」(山川出版社)によると、出羽国は8世紀中ごろまでに秋田城(秋田市)、雄勝城(所在地不明)が相次ぎ造営され、蝦夷対応を含む支配拠点となっていた。8世紀末に鎮兵も配置された
▼雄勝城には9世紀初めに2千人近い鎮兵がいたと推定される。朝廷は越後国に対し、1840人分の年間支給量に相当する米を雄勝城に毎年送るよう命令したとの記録もある。その所在地を巡っては横手市雄物川町の造山遺跡群が注目され、当初の造営場所から払田柵跡(大仙市、美郷町)に移転したとの説も唱えられている
▼木簡には出羽国のどんな人物がどのような内容を記したのか。調査が進むにつれ雄勝城や秋田城の謎の解明にもつながるのでは。そんな期待も膨らむ。
お気に入りに登録