北斗星(11月20日付)
秋田市の人口は1990年から33年ぶりに30万の大台を割った。この間に県人口は122万人から91万人へと減少している。現在の秋田市民とほぼ同じ数の県人口が消えたことを見逃してはならない
▼90年の秋田市人口は県人口の4分の1、現在は3分の1に相当する。雄和・河辺両町との合併もあったが、人口減が顕著だったのは主に同市を除いた地域だったと分かる
▼90年代初め、県外の知人から秋田市の人口を尋ねられると「30万人」と得意気に答えたものだ。県人口は56年の約135万人をピークに減少基調にあった。過疎問題を切実に受け止められなかったことを恥じ入るしかない
▼「地方中核都市に資源を集中し、そこを最後の砦(とりで)にして再生を図っていく」。2013年12月の月刊誌「中央公論」対談にある元岩手県知事・増田寛也さんの発言だ。人口の東京一極集中を防ぎ、地方が自立を目指すための構想として語られた
▼秋田市では人口減とともに65歳以上の高齢者割合が膨れ上がる。「最後の砦」となるべき中核都市も瀬戸際に立つ。若い世代の流出を防ぎ、呼び込む努力を重ねていくしかない。今後は除雪や買い物支援など過疎地の共助活動にも学ぶべきことがありそうだ
▼同市の住宅街でも、たたずまいから空き家と思われる家屋が散見される。近くの小中学校へ通学する子どもたちの目にはどう映っているのか。改めて人口減がもたらすさまざまな問題と真正面から向き合う時代をひしと感じる。
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