
イージス・アショア:秋田と日米安保(4)無縁ではない「同盟」の影
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「秋田のニュース」に関するニュース一覧です。
不思議なもんです。本が売れないっていわれて久しいのに、小説を書いてみようとする人はものすごくいるんだから。私は27年前からさきがけ文学賞、4年前から新田次郎文学賞の審査員を務めています。毎年、応募作…
県内の漁師にとって、日本海のマス漁が大きな収入源だった時代がある。最盛期は5月。そのさなかに海上自衛隊と米海軍による日米合同演習が実施されたのは1981年のことだ。
昭和63(1988)年の7月に直木賞、9月に西木村民栄誉章をもらい、11月におやじが逝きました。私に医者を継がせたかったのにかなえてやれなくて、心配ばかりかけてしまいました。私には妹3人と13歳下の…
ヒット作が出たのはいいけれど、執筆に次ぐ執筆で取材がおろそかになり、手抜きのような状況が少し続いたんです。だから直木賞を受賞するのに8年もかかったんでしょう。候補に挙がると、文芸春秋の担当者から「発…
迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備計画を巡ってわれわれはいま、この国のありようをつかさどる日米安保体制を意識せざるを得ない状況に直面している。連載「盾は何を守るのか」の第3部は、県内で…
運のいいことに、昭和55(1980)年のデビュー作「オホーツク諜報船」は日本ノンフィクション賞新人賞に選ばれました。そればかりか直木賞の候補にもなったんです。文学的な要素のほとんどない作品が直木賞候…
レポ船の取材で根室(北海道)にかれこれ20、30回ぐらい通ったでしょうか。あの頃は厚岸町のムツゴロウ(畑正憲)さんの家に泊めてもらって、随分厄介になりました。週刊平凡時代に取材で会って以来、ずっと世…
東京・赤坂の自宅マンションに押しかけてくる個性的な面々と接するうち、いろんな刺激を受けたせいか、文章を編集するより自分で作品を書きたいと思うようになったんです。30代後半に差し掛かった頃です。覚悟を…
遺棄された場所は、かなしい。森の中で、がらんどうの窓から千切(ちぎ)れたカーテンをたなびかせる集合住宅と廃園に行き当たった。すっかり生気を失いきれず、何かの残響が浮遊している。ものの影が砂のように音…
私と妻の桑原幸子は結婚前から、東京・赤坂のTBS裏のマンションに住んでいました。渡り廊下の先に西城秀樹、その下のフロアには五月みどりがいたし、うちの隣には島倉千代子がいてね。近所の酒屋さんから「お宅…
平凡パンチのグラビアのモデル探しに疲れ切っていた頃、「週刊平凡」という日本で一番売れていた芸能週刊誌の編集長から「ちょっとこっちに来い」と言われて、昭和50(1975)年春に異動しました。芸能人のス…
平凡出版にいた頃はすごい才能の持ち主と巡り会っているんです。その1人が加納典明。私が平凡パンチのグラビアを担当していた頃、編集長が「フリーのカメラマンにヌードを撮らせてみよう」と言うんで、カメラ雑誌…
平凡パンチの編集には6年間いましたが、最後の2年間はひどかったです。グラビア担当をさせられたんです。要するにヌード写真のモデルを見つける仕事です。芸能事務所に掛け合っても、了承してもらえるのは水着ま…
昭和44(1969)年春から平凡パンチ(男性向け週刊誌)の編集担当になり、連載小説からその時々の話題のテーマを取り上げる特集記事まで、ありとあらゆるジャンルを経験しました。初めの4年間はドタバタ走り…
前回このコラムで宣伝させていただいた「アトリオン音楽ホール開館30周年記念ウィンド・アンサンブル 冬の管~秋田ゆかりの奏者たちによる吹奏楽の祭典~」(1月20日)は、おかげさまで満員御礼の大盛況で終…