「林業」に関する記事一覧です。
秋田県森林整備課がまとめた2019年度の県内新規林業就業者は、前年度比6人増の146人となり8年連続で東北最多だった。豊かな森林資源に加え、15年度開講の県研修制度「秋田林業大学校」やインターンシッ…
秋田県能代市二ツ井町の梅内(うめない)地区にある山林の管理、間伐材を使った燃料の販売をしている住民組織「梅内聚落(しゅうらく)」(安井重雄区長)が、全国の林業関係者でつくる公益社団法人・大日本山林会…
見上げるほど高く積み上げられた秋田杉の原木。木材産業が盛んな能代市の原木市場「白神木材流通センター」(同市久喜沢)には、新型コロナウイルスの感染拡大前に比べて3倍以上の原木が保管されている。
林業を成長産業にしようと林野庁が取り組んでいるモデル事業で、大館北秋田地域(大館、北秋田、上小阿仁の2市1村)が、県内で唯一対象地域に選ばれてから間もなく3年になる。
秋田県大館市は13日、2020年度一般会計当初予算案を発表した。総額は365億7829万円で、市長選を控え骨格編成だった19年度当初比41億7139万円(12・9%)増。過去最大の18年度を33億8…
長年、木を育てていると、面白いことに気付かされます。一緒に植えたはずなのに成長が異なり、太い、中ぐらい、細めと分かれる場合があります。細い秋田杉の根から太い方に養分が回っている可能性が高いのです。細…
林業にとどまらず、炭焼き、花栽培、「健康の森」の運営、環境問題への取り組みと思い付くままに活動範囲を広げてきたからでしょう。秋田はもちろん、全国各地のいろいろな方々と知り合いになりました。
時代にはやはり「流れ」があるようです。親から受け継いだ林業に環境や健康・教育分野を加味して「森林経営」へとかじを切ったのも、時代のうねりを感じたからです。
木の手入れをして、切り出す林業のための作業道だけが「山の道」ではありません。昭和54(1979)年以来、市民に開放している「健康の森」にはもう一つの道があります。
少しずつ整備してきた作業道の総延長は11キロを超え、120ヘクタールの山林に路網ができています。山林内に張り巡らされた路網は、人の体でいえば「血管」に例えられます。血管を通し血液が全身にくまなく行き…
昔、私の山には「けもの道」と主に山菜・キノコ採りで使う「山道(やまみち)」しかありませんでした。ここを通って山に入り、除伐、間伐(間引き)など人の手で木を育てていました。木材用に切り倒した原木(丸太…
ここ20年来、お付き合いをしている哲学者に内山節(たかし)さん(69)がいます。森林に造詣が深く、都市化が進む中、人々の暮らしの森への回帰がいかに大切かを訴えています。8月下旬にも講演のため男鹿を訪…
台風19号が吹き荒れた平成3(1991)年9月28日、「秋田森の会・風のハーモニー」が「健康の森」で予定していたオープンセレモニーはお流れになりました。イベントなど吹き飛んでしまうほど、全県的に被害…
昭和54(1979)年に山林の一部を「憩いの場」として開放、訪れる人がだんだん増えてきました。森林浴をしながら散策する中高年の方々に加え、園外保育の場として利用する園児たちも多くなりました。
昭和62(1987)年に「原木流通研究会」という県内林家の組織ができて、その会長になりました。当時、県林務部職員で後に県議会議員、現在は県林業育成協会の会長を務める武田英文さん(74)が会設立の言い…
多くの方々にたくさんのことを教えていただきました。中でも印象深いのは、同じ秋田市下浜羽川の出身で有名な医師の大友英一さん(90)です。
平成3(1991)年9月28日、本県を通過した台風19号により、秋田市下浜にある私の山林も壊滅的な打撃を受けました。数日かけて被害状況を見て回り、大切なことに気付きました。大径木の良質な秋田杉が並ぶ…
実験的な植林の試みは、従来方法への疑問が出発点となりました。当時も現在も秋田杉の植林は、1ヘクタールの山地に碁盤の目のように1・8メートル間隔で計3千本植えるのが一般的です。50~60年後、最終的に…
昭和40年代から50年代にかけて秋田の林業は活気がありました。知事の小畑勇二郎さん(故人)がリードする格好で県は、秋田杉をどんどん植えて毎年1万ヘクタールずつ造林する運動を展開していました。私たち林…
炭はかつて、生活に欠かせない燃料で、うちの山林でも代々炭焼きをしてきました。小さい頃からよく炭焼き作業を見てきましたし、高卒後、長野での花栽培研修を終えて秋田市下浜羽川に帰郷してからは、おやじの炭焼…
自身の歩みと、生きた時代を語ってもらう
秋田県出身者によるリレーコラム
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