ヒカリ指す(5)

(2020年11月8日 付)
作・北原岳(きたはら・がく)
1975年生まれ、栃木県出身。早稲田大学大学院博士後期課程修了。博士(文学)。愛知淑徳大学創造表現学部講師。名古屋市住。
絵・今井恒一(いまい・こういち)
1949年秋田市生まれ。秋田商高卒。秋田美術作家協会会員。同市住。

 僕の中に、小さな芽が生えた。どうしてそんな簡単なことが浮かばなかったのだろう。―逃げればいい。

 高校進学を考えると憂鬱で仕方なかった。だけどいま選択肢が増えた。ヒカリさんはそれを「逃げる」と表現した。僕は逃げてもいいのだ。この小さな芽は、不思議なほど僕を勇気づけた。その瞬間、僕は無敵だった。何も怖くなかった。

「ホントに、逃げて来てもいいんですか?」僕は尋ねた。

「ホントに、逃げて来たければ、本気の勇気を出して逃げるのね」ヒカリさんは笑った。

 

 翌日、爆睡しているヒカリさんの代わりに、タカヤさんが駅まで送ってくれた。

 僕は電車の中で、東京の高校へ進学することを考えた。そのためなら、学校で降りかかってくる言葉の暴力という火の粉にも耐えられると思えたのだ。

 

 

 これから話すのは、僕の冒険の話だ。

 小さい頃に読んだ、『ガリヴァー旅行記』のリリパット国やブロブディンナグ国、それにラピュータへの旅に較べれば何でもない、おもしろくもない出来事。だけど僕には、これは本当の冒険だった。

 それは、僕が学び知ったことを、現実の世界で試した最初の経験なのだから。

 

 一学期が終わる。

 補習や夏期講習の日程が記されたプリントが配布された。そんなものはどうでもよかった。こんな場所に、何が楽しくて、夏休みの間まで顔を出さなければならないのか。

 一学期の土壇場にきて、事件が起きた。

「ホーシャキン」という言葉の暴力は相変わらず無意味なバリエーションを生み出していた。「オセンマン」とか「ゲンパツマン」とか。聞き流せばいい。そう思っていたけど、僕たち家族が「避難」していることをバカにしたり、からかうことだけは許せなかった。

 どこからそんな情報を仕入れたのか「避難民のくせに税金をくいつぶしやがって」とウエダに言われたとき、確かに僕の中で何かが弾ける音がした。「日本から出ていけよ」ウエダは重ねてそう言った。

 僕は身体中に血液が回っていくのを感じた。熱くてどうにもならない。頭の先の方がぎゅっと収縮している。怒りだ。それは怒りの感情だ。

 だけど、本当は情けなかった。こんなことに怒り、相手を睨みつけている自分が。それからこんなに簡単に日本なんて言葉を持ち出して、出ていけというウエダの薄っぺらな感情表現が。

「何だよ、お前、やるのか?」ウエダが言った。

 すぐに取り巻き三人がやって来る。休み時間の廊下がざわついている。

「税金泥棒」ウエダは繰り返した。

 振り上げたこぶしが、ウエダに向かってするりと伸びていった。

 女子の悲鳴が聞こえる。こういうときは、どこか遠くの方で、自分とは関係ないように聞こえてくるのだと思っていたけれど、悲鳴は思いのほか近くから僕の鼓膜を揺らした。

 すぐに反撃が来た。ウエダではない。取り巻きが胸ぐらをつかんだ。夏服のシャツのボタンが弾け飛んだ。腹部を殴られ、前かがみになったところで、背中を蹴られた。

 バカげている。

 僕自身も。

 そういえばオオタノリコ先生は「暴力では何も解決しない」と言っていた。板書は「Violence doesn’t solve anything」だった気がする。暴力は連鎖して憎しみを生み出し、たとえ誰かを抑え込んでも、一時的なものでしかない。ホウチコッカ(オオタノリコ先生がそう言ったとき「法治国家」を思い浮かべることはできなかった)である以上、暴力は解決を生み出さないのだ、と。

 僕はウエダを殴った。その報復を受けているというわけだ。

 背中の痛みは、そもそも僕のせい。僕が最初に手を出したから。

 でも本当にそうなのか。ウエダたちが日々発する言葉なんて、風に消えてしまうのか。そんなことはないし、そんなことは許さない。

 僕は刻み込んでいた。彼らの暴力の言葉を。

 廊下の向こうから笛の音が聞こえてきた。騒ぎを聞きつけた担任と体育科の学年主任が走ってくる。顔を上げると思ったよりも人だかりができていた。

 そうやって見世物になる。

挿し絵

 これを見ているやつは何を思っているだろう。こっちに転校した頃、すぐに友達になったエノキダやタカダは、この騒ぎをどこかで見ているのだろうか。

「何をやってる!」担任が叫ぶ。

 バカげている。

 いま起こっていることは、いまに始まったわけではない。

 学年主任が無理やり僕の身体を起こす。わき腹に痛みが走った。背中は痛みを通り越して何も感じない。

 僕たちはみんなが見ている中、職員室へ移送された。ウエダは僕に殴られた頬を押さえながら歩く。

 バカげている。

 僕はなぜあのとき、拳の先にみなぎった力を抜いてしまったのだろう。ウエダをそれ以上殴ることが恐かったのか。僕はバカな平和主義者なのか。でも、ウエダを殴った事実は変わらない。本気なのか、手加減したのか。そんなことは、ウエダにはきっと関係ないのだろう。彼は自分が殴られたという事実だけをずっと主張する。

 職員室のドアが勢いよく閉まる。

 僕たちは正座させられて、だらだらと、ケンカの原因を追及された。

「サクライ君が最初に殴ったんです」「どうしてウエダを殴った?」「……」「黙っていては分からない。それにウエダはどうして殴られた?」「分かりません。サクライ君が最初に手を出したので」「おいサクライ、何があったんだ」「……」

 僕が最初に殴った理由を、どうしてこの担任は知らないのだろう。僕は理由もなく、クラスメイトを殴りつける問題児なのか。

 僕は何も言わない。

 言って意味があるとかないとか、そんなことはどうでもいい。この鈍感な言葉のやりとりに、もういちど、僕は暴れ出しそうになる。

 ふと、頭の中を、ジグソーパズルのピースが転がっていった。

 ソファの下、床との隙間は数センチしかない。タカヤさんが城の石垣の一部を埋められなくて苦戦している。白い壁面はもう出来上がっている。屋根瓦も、周囲の木々も埋まっている。あとは、石垣の隙間、数ピースで完成するはずなのに、タカヤさんは困っている。

 別に、パズルなんて完成しなくてもいいの。

 ヒカリさんが言っている。僕は、ソファの下を指さして、ピースのありかを伝えたい。

 完成してもどうせまた壊して、箱に詰めるんだから。

 ヒカリさんの部屋にはいくつものパズルの箱が置いてあったけれど、完成品はどこにも飾られていなかった。完成することが目的ではないし、しまうときにはまた元に戻す。―。

「聞いてるのか、サクライ!」

 担任の言葉に、「聞いていません」と答える勇気はない。僕は平和主義者どころか、ただの臆病者なのだ。でも、いまはそれでいい。

 

 一学期の終わりの、土壇場での大きな変化。

 それは、逃げてしまえばいい、と思えるようになったことだ。

 こんなバカげている状況、逃げたっていい。

 ―逃げちゃえばいいでしょ、それって本当はいちばん勇気のいることなんだけどね。ヒカリさんの言葉を思い出す。

 何を言ったってこの担任には届かない。

 福島のM市で、病気を患って死んでいった祖父のこと。避難区域の境界線で明日をも知れず苦労している人たちのこと。そこには僕の友達のお父さんやお母さんもいた。それから復興を合言葉に、現状を変えるため頑張っている人たちのこと。それはこの国で起きていることだけど、きっとこの担任とは関係ない世界のことなのだ。この担任に向けて、届きもしない言葉を一から積み上げていく気力は僕にはない。

 謝ればいいのか。ただ、暴力を振るってしまいごめんなさい、と言えば済むことなのだろうか。それに呼応して、ウエダの取り巻きも、僕に加えた暴力について謝罪するのだろうか。それで、仲良く握手をして「なかった」ことにするのか。

 結局、あの騒ぎの後、職員室で僕の方から謝った。

 こんなバカげた状況から僕は逃げる。逃げるためなら、謝ることなんて何でもない。

 サクライも反省している。お前たちも謝らなければいけない。最初に暴力を振るっても、暴力でやり返したお前たちも悪いんだ。それもひとりによってたかって。男らしくないぞ。心の底から、サクライに謝るんだ。

 職員室から解放されるとき、僕はオオタノリコ先生の机に目を向けた。

 オオタノリコ先生は僕と目が合うと、小さく微笑んでくれた。そして、他の先生に見えないように小さくガッツポーズをした。

 教室では授業が始まっている。遅れて入って来た僕たちを見てクラスメイトが盛り上がる。社会科の教師は、チョークを持った手をくねくね動かして、早く席に着くよう促した。