賽銭泥棒(1)

(2020年11月15日 付)
作・荒川眞人(あらかわ・まひと)
1955年名古屋市生まれ。2008年住友生命情報誌ショートコンクール優秀賞、16年四日市文芸賞エッセイ部門奨励賞、17年同小説部門奨励賞。三重県四日市市住。
絵・斎藤昇(さいとう・のぼる)
1946年秋田市生まれ。岩手大特設美術専攻科修了。87年度県芸術選奨。90年自由美術展平和賞。95年安井賞展出品。自由美術協会会員。秋田市住。

 夏の終わりも近いと、熟れた西瓜のような陽が、鈴鹿の山々の陰に隠れていく。東海道の四十三番目の宿場町である四日市宿では、旅籠や茶屋の店先にぽつりぽつりと明かりが灯る。

 汗ばんだ身体を、弥平治は団扇(うちわ)で煽ると、もう一方の手を懐の中に突っ込んだ。帯の下で、手ぬぐいでくるんだ銭がじゃらじゃらと音を立てた。浜田村の鵜森(うのもり)神社の賽銭箱は、宮参りがあった後とあって、ぎっしりと賽銭が入っていた。ほどほどの銭を頂戴してきた。

 賽銭泥棒のこつは、薄暗い時刻を狙うことだ。それを過ぎてしまうと、提灯で照らしながら盗みをしなければならないので、ここに盗人がいますよと言っているようなものだ。

 もうひとつ言うならば、賽銭箱を空にしないことだ。箱の中の銭を全部頂戴してしまうと、宮司に盗まれたことに気づかれる。結局は、奉行所に届けられ、岡っ引きに追いかけ回されることなる。賽銭泥棒を長く続けるには、目立たないように、少しずつ頂くことだ。

 弥平治は、もう少し足を延ばすことにした。目指すは、北へ少し歩いたところにある諏訪神社である。四日市宿の旅籠を利用する者が決まって参拝する神社である。

 東海道に出ると、間もなく夜になろうというのに、菅笠(すげがさ)をかぶった旅人の往来が絶えない。旅籠や茶屋の店先では、その旅人目当てに、女中たちが呼び込みに精を出す。

 弥平治は東海道を歩きながら、足元に目をやる。

「あっちもこっちもごみ屑が落ちていやがる。汚ねぇな……。またご奉公するか……」

 東海道は、参勤交代の大名行列や伊勢神社へ向かう参拝客などで往来が多い。そのため屋台での食べ残しや、捨てられた紙屑が散乱して、沿道の町人たちが清掃するものの追いつかないのだ。

 奇特なことに、弥平治は、駄賃もなく奉仕で、東海道の清掃をするのである。

 杉や檜(ひのき)の高木がそびえ立つ、広い境内を持つ諏訪神社が見えてきた。この界隈は、すぐ北側に代官所があり、武士の往来が多い。同じ賽銭泥棒をするにも鵜森神社と比べたら気をつかう。

 弥平治は何食わぬ顔で境内に入った。向かうは奥にある、社殿の前に置かれた賽銭箱である。

 ところが周囲に注意を払うあまり、足元が留守になっていた。絣(かすり)から出た膝小僧にがつんと何かが当たった。

「いてぇ! なんだ?」驚いて声を発する。

 同時に、足元でも、「きゃっ」という子どもの声がした。

 見下ろすと、おかっぱ頭の女の子が、額を押さえて尻もちをついていた。弥平治の膝がその子の頭を蹴飛ばしたのだ。

 前を見ずに飛び出してくるほうが悪いと思いながら、「これはとんだことを。あれあれ、おじょう(お嬢さん)。大丈夫かい?」

 しゃがみ込むと、女の子を抱きかかえるようにして立たせた。

すると女の子はこちらの顔も見ずに、手を振りほどいて、一歩後ろに離れた。弥平治のことを警戒している。

 大人の男の腰のあたりまでしか、背丈のない小さな女の子であった。痩せており、子どもらしい頬の丸みに欠けた。

 このぐらいの年頃なら、大人とぶつかって転んだら、泣いてしまうだろうに、その子は下唇をかんで、うつむいたままじっと立っていた。

 脚やら腕を擦りむいていなければいいが。

「おじょう。けがをしていないかい?」

 弥平治は心配してあらためて聞くと、女の子はうつむいたまま、首を横に振る。

「どこか擦りむいてねぇかい?」念を押すと、女の子は手で着物の裾を少し上げて、白く細い脚を覗き込んだ。

「うん。大丈夫だよ」今度ははっきり口にした。

 ほんとうは痛かったくせに、大人を前にしているから強がりを言っているのではないかと気になった。

 弥平治からしたら、何はともあれ、大きな図体をして小さな子どもにぶつかったのだから、悪いことをしたには変わりない。

 なんとか謝罪の気持ちを表したい。このままで帰してはいけないという気持ちが立つ。

「そうだ!」懐に大福もちが入っていることを思い出した。

 ふたつあるから、そのうちのひとつをその子にあげようと考えた。

挿し絵

「おいちゃんがぶつかったお詫びのしるしだ。ひとつ食べてくれないかい」

 笹の葉を開いて、ふたつある大福もちを見せた。女の子はこれまで伏せていた顔を上げると、初めて笑顔を見せた。

「おおきに」大福もちを受け取ろうと手を差し出した。

 すると、女の子の袖から出た柔らかい腕の内側の部分が、妙なことに両腕とも赤く腫れていたのだ。

 弥平治は気になって聞いた。

「その腕はどうしたんだい?ここで転んでそうなったのかい?」

「ううん。違うよ」女の子は首を横に振った。

「そうかい。それならいいんだが……」

 違うと言うのならそうなのだろう。あらためて、大福もちのひとつを差し出すと、女の子は嬉しそうな顔をして手に取った。

「さぁさぁ、もう暗くなっちまうぜ。早く家に帰んな。おっかさんが心配しているぜ」

 女の子は返事をすると、大福もちをかじりながら、小走りで夕闇の中に消えていった。

 女の子を送った後、弥平治は、

「さて、仕事をするか……」

 とつぶやき、諏訪神社の境内の奥へと進んでいった。

 夕空の下、常夜灯にはすでに明かりがともされていた。賽銭箱の前まで来ると、もう一度あたりを見回す。参拝者はもちろんのこと、宮司たちの姿もない。音を立てないように社殿の前にある賽銭箱の前に立った。

 神さんをさほど信じているわけではないが、賽銭泥棒の前に、神さんに対する礼儀は行う。静かに手を合わせ一礼した。

 賽銭箱に覆いかぶさると、格子の隙間から箱の奥をのぞき込んだ。薄暗くて見えにくいが、一文銭や四文銭が重なるようにして入っていた。中には一朱銀や一朱金もある。

 弥平治はおもむろに懐から、切り取った細い竹の枝先を取り出した。次に同じように、先ほど女の子にもあげた大福の残りが入った笹の包みを引っ張り出した。

 包みを開けると、ひとつ残った大福を、指で白い皮と餡子(あんこ)とを分けた。そうして白い皮だけを残して、餡子は口の中に放り込んだ。

「うめぇ」つぶやきながら手作業のほうは続ける。

 竹の枝の先っぽに、残った大福の白い皮の粘りのあるほうを外側にして巻くと、こちらも用意してきた糸で手際よく結わえた。賽銭取り道具の出来上がりであった。

 大福もちをくくりつけた竹の枝の先を、格子の隙間に通して、賽銭箱の奥のほうまで突っ込んだ。ちゃりんと硬貨が動く音が聞こえた。重なった硬貨に、大福もちの粘りのある面がくっついた。

 竹の枝を慎重に引っ張り上げていく。

 手の感触から、どうやら二枚の硬貨がくっついているようだ。さらに枝を引っ張ると、格子の隙間から硬貨が見えた。四文銭と一朱銀ときた。たいそうな収穫だった。

 弥平治は胸を躍らせながらも、慌てず、ゆっくりと竹の枝を格子の隙間から引き抜いていく。

 硬貨は格子のすぐ下まで引き上げられていた。もう少しだ。弥平治は指を突っ込み硬貨をつまもうとした。

 その時、

「おいちゃん」

 いきなり聞いたおぼえのある女の子の声で呼ばれた。

「うぉっ!」

 焦って弥平治が振り向くと、先ほど帰って行ったはずの、大福もちをあげた女の子が立っていた。

 あたりが薄暗いせいか、女の子の顔はまるで病を患っているかのように暗く悲しそうに見えた。後ろのほうで、賽銭箱に覆いかぶさる弥平治の背中をずっと見ていたのだろうか。

 弥平治は慌てて賽銭箱に突っ込んでいた竹の枝を抜き取った。

 竹だけが格子との摩擦音を立てて、賽銭箱から飛び出してきた。

 無残にも、竹の先に縛りつけていた大福もちと、くっついていた硬貨は、竹から外れて賽銭箱の底へと落ちていった。