賽銭泥棒(4)

(2020年11月18日 付)
作・荒川眞人(あらかわ・まひと)
1955年名古屋市生まれ。2008年住友生命情報誌ショートコンクール優秀賞、16年四日市文芸賞エッセイ部門奨励賞、17年同小説部門奨励賞。三重県四日市市住。
絵・斎藤昇(さいとう・のぼる)
1946年秋田市生まれ。岩手大特設美術専攻科修了。87年度県芸術選奨。90年自由美術展平和賞。95年安井賞展出品。自由美術協会会員。秋田市住。

 蚯蚓を残酷なまでに切り刻んでいたのは、母親から受けたせっかんから来る、おとしの気持ちの表れかもしれない。

 弥平治は、許せないと、母親に歯噛みした。その分、なおさらのこと、おとしには優しくしてあげたい。

「どうした。家へ帰らないのかい?」

 おとしはうつむいて、下唇をかんで何も話そうとしない。それが辛い時の癖なのだろう。

「辛いなぁ」弥平治は、ふっと口にした。

 おとしはひくひくと肩を震わせて泣き出した。

「その赤い傷は誰にやられた?」

 問いに答えずに、おとしは泣くだけだ。

「おっかぁにやられたか?」弥平治はあえて母親のことを出した。

 おとしは動揺して、しばし息を止めると、次に、「違う。違う。おっかぁじゃない」と強く首を振った。

 いったん止まりかけていた涙が堰を切ったように頬を伝った。

「分かった。分かった。おっかぁじゃないんだな」

 弥平治は、幼い子どものおかっぱ頭を撫ぜた。

 おとしは、母親のことを否定する前に、一瞬の動揺を隠し切れなかった。それこそ、子どもながらも、精いっぱい嘘で隠そうとしている証なのだ。

 おとしの泣き声は大きさを増すばかりだ。これじゃあ、務めを終えて、引っ込んだ宮司が様子を見にくる。

「待て、待て、声が大きい。おー、よしよし」

 弥平治はおとしの頭を何度も撫ぜて、大きな声を出さないようにとなだめた。すると、おとしのほうも、普段から泣き声のことで叱られているのか、弥平治の言葉に従って声を落とした。子どもながら大人に対しての配慮がある。

 それにしてもだ……。おとしをどうしたらよいか?

 ここに一人で放っておくわけにはいかない。さりとてどこかに連れて行くといっても、どこに? 弥平治は途方に暮れた。

 手近なところで番所に届けても、家がどこかを尋ねられて連れ返されるのが落ちだろう。もっとも、賽銭泥棒をしている身の弥平治としては、岡っ引きがいる番所は関わりたくない場所であった。

 悩んだ末、弥平治は昨日と同じように、おとしの家である水澤屋まで送り届けることにした。

 暗い通りを親子のように手をつないでとぼとぼと歩いた。

 水澤屋が見えてきた。この日は、暮六つ半(午後七時)にはなっておらず、昨日に比べれば遅い時間じゃない。それでもすでに店は閉まっていた。

「おじょう。ここからは一人で行くんだぞ。戸を叩いて、おっかあ、帰ったよと言うんだぞ」

 水澤屋の少し手前の通りで立ち止まると、弥平治はおとしの背中を押した。

 おとしは心細げな眼で弥平治を見上げると、次に頭を垂れて前を向いた。哀れなほど小さい背中が何か言いたそうだった。しばらくして、短い脚をとことこと動かせて、茶問屋の戸口まで駆けて行った。戸を叩いた。

 戸が開くと、母親が顔を見せた。何か一言甲高い声を発すると、おとしの腕をつかみ、家の中に引っぱり込んだ。そこまでだった。その先のことは分からない。母親の暴力がないようにと祈るばかりだ。

 町屋が建ち並ぶ通りは、薄闇でまだ人が歩いていた。

 弥平治は重苦しいため息をつき、自分が住む裏店に戻ろうと振り返った。すると、通りを行く人の中に妙な気配を感じた。

 つけられているのかと訝しんで足を止めてみた。しばらく人の往来を見ていたが特に変わったところはなかった。

 

 

 あくる日の昼下がり。おみよは帳場に座り、使用人たちの目につかないように、帳場机の下に置いた手鏡に顔を映した。自分でも醜い顔だと思う。おとしへの怒りが顔に表れている。

 おとしが、昨日、夕刻に店の戸口に帰ってきた時、例の男が通りの端に隠れるようにして立っていたのを見逃さなかった。男には気づかぬふりをして、おとしを迎え入れた。

 二人だけの問屋の座敷におとしを座らせると、おみよの怒りはとどまるところを知らなかった。竹の枝を鞭(むち)のようにして、泣き喚くおとしの腕や腿を叩いた。ときには頬にも鞭を入れた。

 おとしは、「ごめんなさい。ごめんなさい」と泣いて謝っていたが、泣いたって許さない。おみよの鞭を振る手は勢いを増した。

 何度も何度もおとしに鉄槌(てっつい)を下した。

 おみよは小さな商店の三女として生まれた。栄えている店ではなく、最低限の食い物しかない貧乏商店であった。子どもたちが生きてゆくすべといったら、どこかへ奉公へ行くか、早々と嫁ぐぐらいしかなかった。そこに運よく嫁ぎ先として見つかったのが、地元では名の知れた水澤屋という茶問屋だった。

挿し絵

 相手の男を見て、おみよは落胆した。十七のおみよとは歳の差が二十近くもあった。見た目は醜く、店の切り盛りができるぐらいで、他に取りえなどなさそうな男であった。それでも、貧乏商店の三女が生きてゆくためには仕方がなかった。

 何はともあれおみよは水澤屋に嫁いだ。そこで幸せになれたかというと、その後の結婚生活は悲惨なものだった。歳の差の離れた亭主に抱かれるのは、たとえ肌が合わなくても我慢できた。一番の問題は、夫婦の間に、三年たっても四年たっても子どもができなかったことだ。ついには最大の屈辱を受けることとなる。

 ある日、亭主が突然、女の赤子を連れてきて、その子を自分の子どもとして育てると言い出したのだ。聞いても、どこの誰の子どもかを答えない。どうせ、岡町で馴染みの女につくらせた子どもだろう。

 その子も四歳となった。その子どもこそが、おとしであった。

 何としても我慢がならないのは、亭主がおとしを残して勝手に死んでいったことである。愛情のかけらもない、人の子どもをこれから、何年も育てていかなければならないなど、女として我慢がならなかった。

 死んだ亭主も憎かったが、おとしはそれ以上に憎かった。二人っきりになると、事あるごとに手を上げた。素手だけでは足らず、竹の枝も使った。

 おみよが帳場で苛立っているところに、珍しい人物が顔をのぞかせた。

「こんちわ。どうだい、おみよさん。元気でやっているかい?」

「あら、源さん」

 岡っ引きの源五郎だった。通称源さんと呼ばれている。間もなく還暦を迎えようというのに、敏捷な動きはいまだ健在だ。

 若い頃は盗人だったようだが、改心してからは、奉行所の同心から手札をもらって、岡っ引きを長年務めている。その間、周りも認めるほどの多くの手柄を立てている。

 若い頃のこともあり、酸いも甘いも噛み分けていて、捕まった盗人からも、周囲の町民からも慕われていた。

「見ての通り元気でやっています。亭主がいなくなったからといって、店を潰すわけにはいきませんからね」

 おみよは、先ほどまでの怒りに任せた表情は隠して、笑顔をつくって答える。

「おとし坊は元気かい?」

 源五郎がそう口にすると、おとしが奥の部屋から帳場まで出てきた。その姿を見て、源五郎は色を失った。小さな身体には、腕と足に多数の赤いみみず腫れが走っていた。

「どうだい。元気かい?」

 平静を装いながら、源五郎はおとしに聞いた。

 おとしは「うん」とだけ、小さくうなずいて、帳場をすり抜けていった。土間に駆け下りて下駄を履くおとしに、おみよは、「早く帰って来るんだよ」と、声を荒げていった。

 何食わぬ顔で源五郎のほうに向くと、

「それで、何かあったのですか? 源さんがあたしのところまで顔を出すなんて、事件かしら?」

 おみよだけでなく、この界隈の商店主は、町の犯罪防止に一役買おうと、自分たちが知る町の情報を源五郎に話すし、逆に聞いたりもする。

「いやね、たいしたことはないんだけどよ。同心の親分から頼まれちまってね」

 口ぶりから、いつも手掛ける強盗や大泥棒の事件ではなさそうだ。

「まあ、盗人といえば、盗人なんだがよ。ちっぽけなもんで、同心の旦那までは動かないから、おいら一人で何とかしろって言うんだ」

 源五郎は、番所にいる同心の親方の元に、昨日集団で訴えがあったと話しだした。訴え出たのは、鵜森神社、諏訪神社、本覚寺、崇願寺と、この界隈の宮司や住職だった。

 訴えはこうだ。諏訪神社で一昨日の朝早く、格子の隙間から賽銭箱の中をのぞくと、白い塊が落ちているのが見えた。取り出してみると、大福もちを引きちぎったものに、硬貨がくっついていた。そこで、最近になって賽銭の金額が減っていたのは、賽銭泥棒のせいだということが分かったのさ。

 周りの神社やら寺にも聞いてみると、どこもかしこもここ数か月、賽銭が減っているというのだ。そうなると、この界隈の神社、寺がことごとく賽銭泥棒に遭っていることになる。そこで集団で番所に届け出たというわけだ。

 源五郎は上がり框に座り、そう説明すると、おみよが出したお茶をすすりながら、ふぅっと息を吐いた。

 賽銭泥棒など、犯人は子どもだったりもする。こんなちっぽけな事件に、同心まで出てくることはない。そこで下っ走りの、岡っ引きである源五郎が、犯人を見つけろと任されたのだ。

「まあまあ、源さんも大変だねぇ」

 おみよは面倒な仕事を仰せつかった源五郎の労をねぎらった。