詩情を突き詰めれば

(2020年6月1日 付)

 俳句は十七音の小さな器です。この小さな器を使って何かを表現しようとするわけですが、使える言葉はとても少ない。作者が感じたことを読者に伝えようにも、何をどう言ったらいいのか、なかなか難しい。

 今回は、俳句という器を使いこなすための頭の整理のしかたを提案します。それは「この句の本質は何だろうか」と問うことです。ある作品にはその作品固有の詩情(気分、雰囲気)があって、その詩情は一体どこから湧き出てくるのだろうか、と考えるのです。

 たとえば、芭蕉の「荒海や佐渡によこたふ天河」の詩情は、「荒海」と「よこたふ」という二つの言葉の響き合いから出てくるものです。試しにこの二つの言葉の一方を弱くしてみましょう。――海荒れて佐渡によこたふ天河、荒海や佐渡の上なる天河――これでは力が抜けてしまいます。「荒海」と「よこたふ」が揃(そろ)わないと、この句はサマにならない。「荒海」&「よこたふ」という強力なコンビがこの句の本質です。以下、その句の本質は何かを考えながら投稿作を検討します。――別の書き方と比較して頭の体操をすることが目的です。欠点のある句を直すわけではありません。

対象を具体的に示す

突き放す手の感触や西日射す

 高橋文哉さん(東北公益文科大2年)の作。「突き放す」というキッパリした言葉と季語の西日(夏)との響き合いがこの句の詩情の本質です。「頼ってきた後輩を突き放す」という用例もありますが、「手の感触」とあるので「突き放す」は肉体の動作でしょう。「突き放す手の感触」をどう読むか。手で何(誰)かを突き放したわけですが、相手がモノか人かも不明。突き放したときの「手の感触」だけを詠んだ。謎めいた句としてそのまま楽しめますが、読者としては何を突き放したかが気になります。

 勝手な想像ですが、たとえば

跳び箱を突き放す手や西日射す

とすれば具体的です。放課後の部活。体育館の窓に西日が射している。突き放す対象が人だと、ちょっと不穏ですね。またもや勝手な想像ですが、兄弟喧嘩をして

弟を突き放す手や西日射す

というような場面も考えられます。

「行動」と「結果」に着目

明かり消す花火の音に耳澄まし

 熊谷京香さん(秋田北高2年)の作。遠くで花火の音がした。見えるかなと思って灯を消した。無駄な言葉のない、すっきりと出来た作品です。暗い所にいると聴覚が研ぎ澄まされる感じがします。この句の詩情の本質は、遠くの音に耳を澄ますという感覚と、暗さという明暗の感覚との微妙な関係だと思います。

 ここで頭を切り替えて、灯を消した後の状態に着目すると、

暗がりや花火の音に耳澄まし

という案も考えられます。灯を消すという行動によって周囲が暗くなるという変化が生じます。変化の結果、「暗い」という状態が生じます。抽象的な言い方をしますと、物事を説明しようとするとき、原因となる行動や変化を述べる方法(灯を消す、暗くなる)と、結果として生じた状態を述べる方法(暗い、暗がり)とがあります。このような頭の働かせ方は、俳句の表現を検討するとき役に立ちます。今回は頭の体操のために「暗がりや」という別の案を考えましたが、作者の居場所(室内)が具体的に想像される「明かり消す」のほうが、すぐれた表現だと思います。

さあ、あなたも投稿してみよう!