一字の違いで大違い

(2020年6月22日 付)

 一字一句にこだわることは、重箱の隅をつつくとか、みみっちいとか、あまりよいことのようには言われません。しかし俳句の場合、とにかく一字一句が大切です。高浜虚子という俳人(「遠山に日の当りたる枯野かな」が教科書に載っています)は、次のように言います。――「簡単な景色を叙する上においても、わずかに一字一句の上にその作者の頭の味というものは知らず識らずの間に現れてくる」(『俳句の作りやう』)。虚子にこんな句があります。

 冬ざれの石に腰かけ今孤独(推敲=すいこう=前)

 冬ざれや石に腰かけ我孤独(推敲後)

 冬ざれの野の石に腰を下して孤独を感じている、という意味です。見比べてどうでしょうか。「今孤独」より「我孤独」のほうが孤独が深いように感じます。「冬ざれの」を「冬ざれや」にすることで句に広がりが出ます。一字一句の違いで句の印象がずいぶん変わります。こんな例も念頭に置きながら、投稿句の表現を検討していきます。

置き換え可能な「の」と「に」

アネモネの花やスマートフォンの罅

 鷹島由季さん(東北学院大3年)の作。アネモネと、スマホの罅(ひび)に対する気持ちのひっかかりを取り合わせました。スマホと略さず、スマートフォンという言葉をうまく使いました。カタカナの多い字面もこの句の個性です。下五の「の」を「に」に変えて

アネモネの花やスマートフォンに罅

とするとどうでしょうか。「の」だと、句を作る時点で罅のことをすでに知っていたように読めます。「に」だと、「あれ、スマホに罅が出来てる」と、そのとき気づいたように読めます。「の」と「に」は置き換え可能なことが多く、どちらが自分の言いたいことに近いか、推敲のときに検討するとよいと思います。

「印象」と「実体」

鳥太りけり流氷のまぶしさに

 鈴木総史(そうし)さん(北海道旭川市、会社員23歳)の作。寒冷な環境に生きる鳥の生命力。「太りけり」が健康的な感じです。句末の「に」から句頭の「鳥太りけり」に言葉の流れが還(かえ)っていくようで、句形も良い感じです。

 5月4日付本連載第3回で、「花」の美しさという様なものはない(小林秀雄)という言葉を引用しました。この点から「まぶしさ」を検討してみましょう。代案としては

鳥太りけり流氷のまぶしきに

が考えられます。「まぶしさ」は印象です。「流氷のまぶしき」は「まぶしき流氷」とほぼ同じ意味になります。流氷というモノの実体感のある「まぶしき」のほうが私の好みですが、感覚的な句なので「まぶしさ」も良いと思います。

ジャズ調で遊ぶ

I can’t fly! クラスに春の風

 進藤凜華(りんか)さん(仙台市、会社員20歳)の作。学校のクラスに春風が吹き込んできた。でも私は飛ぶことができない、という意味に解しました。句の中に「I can’t fly!」をうまくおさめました。面白い作品です。下五は「春の風」で安定しています。たぶんこれが「正解」でしょう。ここで、あえて危なっかしい代案を考えます。

I can’t fly! クラスに春風が

としてはどうでしょうか。句形が不安定ですが、気持ちの揺らぎが表現できます。

 ヒントになったのは「噴火口近くて霧が霧雨が 藤後左右」の「霧雨が」です。阿蘇山を詠んだこの句は、1930(昭和5)年の発表当時「ジャズ調」と呼ばれて評判になりました。進藤さんの作も「I can’t fly!」がとても面白いので、下五は「春風が」と遊んでみてはどうでしょうか。

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