後ろの五音でキメる

(2020年7月20日 付)

 英語だと“I love you”か“I don’t love you”かは、文のはじめのほうでわかります。いっぽう日本語は、私はあなたが好きか、好きでないか、最後まで読まないとわかりません。

 このような日本語の性格は俳句にも影響します。俳句の定型は五七五ですが、うしろのほうの五音(下五(しもご))がとても大切です。高浜虚子にこんな推敲(すいこう)例があります。

 

 推敲前「緑蔭や人の時計をのぞきに来(く)」
 推敲後「緑蔭や人の時計をのぞき去る」

 

 緑蔭に腰かけていたら、見知らぬ男がやって来て「失敬、いま何時ですか」と、人の時計をのぞきこんだ(スマホのなかった昭和8年の作、虚子はふだん和服でしたから、懐中時計でしょう)。おや、あの男、私に何の用だろう、何だ、時刻を聞きに来たのか、という場面です。

 男がこちらへやって来る時点では、何の用で来るのかはわからなかったはずです。「のぞきに来」とすると、最初から男の目的を知っているかのようで、少し変です。時計を見たらすぐに立ち去ったのでしょうから、一連の事態の描写としては「のぞき去る」が正確です。

 今回は、下五を変えることで一句全体の印象がどう変わるか。投稿句の下五に注目し、表現を検討します。

一歩踏み込む

目の下にクマを蓄え夏の雲

 佐藤叶実(かなみ)さん(能代高2年)の作。目の下のクマ(隈)は徹夜でもしたのでしょうか。寝不足の目に夏の雲がまぶしい。実感のある句です。「夏の雲」は据わりのよい下五ですが、もう一歩踏み込んだ表現を試してみましょう

目の下にクマを蓄え雲は夏

雲が目に映ったときの「夏だなあ」という感じを強調しました。

どこを強調するか

神様とひい婆さんと食う林檎

 佐々木蓮さん(能代松陽高2年)の作。俳句では林檎(りんご)は秋の季語。曾祖母が(もしかすると作者も一緒に)林檎を食べている。そのそばで神様も一緒に林檎を食べているような気がする。茶飲み友だちみたいな神様でしょうか。ユニークな作です。「林檎食う」でなく「食う林檎」とすると、食うという動作より、林檎というモノが強調されます。工夫した表現です。そこであえて、

神様とひい婆さんと林檎食う

とするとどうでしょうか。林檎の印象が弱まり、神様と曾祖母が一緒に何かを食べているという意味が強調されます。比べてみると、私は、元の句の「食う林檎」のほうが面白いように感じました。

音の響きを生かす

そびえ立つ白波空に入道雲

 丹野知さん(秋田市・高清水小4年)の作。入道雲が聳(そび)えている。海の白波をそのまま垂直方向に立てたような姿です。堂々たる句です。

 作者が小学生だと聞けば、「入道雲」という言葉を使うのが当然だと思います。もしも作者が大人なら「そびえ立つ白波空に雲の峰」や「そびえ立つ白波空に夏の雲」とするかもしれません。

 ところが見比べてみると、「夏の雲」「雲の峰」より「入道雲」のほうが魅力的です。ニュードーグモという音の響きに勢いがあります。ニュードーグモは六音に相当するので、字余りを嫌う俳人は下五に使いたがりません。しかし、この句を見ると、「入道雲」が俳句からはみ出さんばかりに力強い。

 入道雲は空にあるに決まっていますから、「空に」は意味の上では無駄です。しかし「白波」から「入道雲」への橋渡しの言葉として、「空に」は当たり前のようですが、効果的です。

さあ、あなたも投稿してみよう!