「季重なり」を考える

(2020年10月5日 付)

 季語というものは案外沢山あります。江戸時代後期に刊行された『俳諧歳時記栞草』の増補版(岩波文庫)には約3400個の季語が採録されています。編者の曲亭(滝沢)馬琴は『南総里見八犬伝』の作者として知られています。今日の大型の歳時記の代表例である『図説俳句大歳時記』(角川書店)の季語数は約6千個です。

 天文、時候、地理、衣食住、動植物など様々な事象が季語になっているため、目に映るものを俳句にしたとき、一句に2個以上の季語が入ってしまうことがよくあります。これを「季重なり」といいます。

 俳句の入門書によっては季重なりはダメと書いてありますが、絶対にダメというほどでもなくてケースバイケースで判断するのがよいと思います。水原秋桜子の『俳句のつくり方』によると、夕立が降って向日葵(ひまわり)に蛾(が)がとまっている、という句は季語が三つ(夕立、向日葵、蛾。すべて夏の季語)入っているけれども、夕立を中心に、その情趣を向日葵と蛾が助けているので、季重なりでも問題ない。他方、鶯(うぐいす)と春雨、萩の花と秋風は無意味な季語の重複である、と説いています。この考え方が穏当だと思いますが、やはり、具体例を見ていくのがよいと思います。というわけで、今回は季語が二つ詠みこまれている投稿作品を検討します。

季語をどう解釈するか

油照糸切るがごと鬼蜻蜒

 船橋龍さん(46歳、男鹿市)の作。「油照(あぶらでり)」は夏の季語。薄曇りの風のない空から蒸し暑く日が照りつける、脂汗のにじみ出るような昼間のこと。鬼蜻蜒(おにやんま)を含むトンボは秋の季語。細かいことをいうと、糸トンボと夏茜(夏に現れる赤トンボ)は夏の季語です。

 さて、この句は、油照(夏)と鬼蜻蜒(秋)の季重なりです。結論から申しますと、季重なりは問題にはなりません。トンボは俳句歳時記の上では秋のものとされていますが夏にも見かけます。一方、油照は梅雨明けの頃です。さすがに秋の油照は想像しがたい。したがってこの句は夏の句で、句中の鬼蜻蜒は、秋でなく、夏に飛んでいるトンボだと解釈すればよいのです。蒸し暑い空の下、空中に糸が張ってあったなら、それを断ち切るような鋭さで鬼蜻蜒が飛んでいる。自然の様相を素直に詠んだ句です。

素材の面白さを生かす

竿燈の代わりに蝉が恋ダンス

 松原弘美さん(47歳、秋田市)の作。秋田の竿燈は夏の祭ですが、陰暦文月の七夕の行事なので俳句では秋の季語です。現実の季節感と約束事としての季節がずれている一例です。セミは夏の季語です。なお、ツクツクボウシとヒグラシは秋の季語です。

 さて今年は新型コロナウイルス感染症の影響で竿燈は中止でした。そのかわりセミの「恋ダンス」が景気をつけてくれた、というのでしょう。ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」で有名な「恋ダンス」はセミの場合、交尾でしょうか。竿燈とセミと二つ季語がありますが、全く問題ありません。竿燈とセミの取り合わせに意外性のある、面白い作です。

 「竿燈の代わり」でも意味は通じますが、竿燈がなかったことをそのまま述べたほうがよいでしょう。また「恋ダンス」が目立ちます。素材が面白い句ですから、どちらかといえば、たんたんとした書き方がよいと思います。たとえば

竿燈のなかりし今年蟬つるむ

としてはいかがでしょうか。「なかりし」は「なかった」という意味。「つるむ」は「交尾する」という意味です。

 竿燈をはじめ、来年はいろいろな行事が無事に行われることを願っています。

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