一人称を使い分ける
高浜虚子にこんな句があります。
冬ざれや石に腰かけ我孤独
推敲の前は〈冬ざれの石に腰かけ今孤独〉でした。「我」という一字によって、孤独の表現が濃くなりました。
文芸にとって「我」とは何でしょうか。太宰治の『人間失格』の場合、小説家である「私」が「葉蔵」という男の手記を読むことで小説が展開します。葉蔵は手記の中で「自分」と自称しています。その葉蔵のモデルは太宰だと言われます。「太宰」「私」「葉蔵(手記の中では「自分」)」の重層的な関係は何を意味するのでしょうか。詳しくは安藤宏『「私」をつくる―近代小説の試み―』(岩波新書)をご参照ください。
俳句はもっと単純です。俳句の主語は多くの場合、作者自身です。
いくたびも雪の深さをたずねけり 正岡子規
に「我」という語はありませんが、雪の深さをたずねたのは子規自身です。では
花衣脱ぎもかへずに芝居かな 虚子
はどうでしょうか。「花衣」は着飾って花見に行く女性の衣装です。田辺聖子の小説に描かれた杉田久女に
花衣ぬぐやまつはる紐いろ〳〵
という句があります。男性である虚子の作品の「花衣脱ぎもかへず」の主体は虚子自身ではなく、或る婦人です。こんなふうに句の主人公が誰かと考えることも俳句鑑賞の一面です。 今回は「ぼく」「わたし」など、一人称を使った投稿作品を見ていきます。
句を生き生きとする「僕ら」
虹の下ぼくらは進む学校へ
丹野造さん(高清水小5年)の作。「生徒は進む学校へ」ではたんなる説明ですが、「ぼくら」という言葉があると句が生き生きします。「進む」は進学という意味ではなく、一歩一歩進んで行くのです。行進するように歩いてゆく登校班を想像します。
「私」の違いを味わう
夕立や校舎は私の所有物
京野晴妃さん(秋田市、専門学校1年)の作。人のいない校舎で雨宿りをしていると校舎が「私の所有物」のような気がしてきたのでしょうか。「夕立や校舎は」の「や」と「は」が良い形です。「私」という語が、そこにいる作者自身の存在感を伝えます。
夕立や一目惚れしたのは私
加藤真綿さん(秋田北高2年)の作。この句も前の句と同様「夕立や」の「や」と「したのは」の「は」が良い形です。この句の「私」にも「わ、た、し」と話しかけるような楽しさがあります。
初鰹父食べたのは私の分
大野陽加里さん(秋田北高2年)の作。「お父さんがアタシの分を食べちゃった」と訴えるような口調の「私」です。
三日目の豚汁に私殺された
高橋凛さん(横手高1年)の作。「三日目の豚汁」でおなかをこわしたのをユーモラスに表現したのでしょう。「アタシ死んでた」という日常会話の勢いが感じられます。この句は季語がありません。食中毒を起こすのは夏だろうと想定して季語を入れてみましょう。といったものの「豚汁に殺された」という事態に取り合わせる季語はなかなか見当たりません。しかもこの句は五・八・五の十八音ですから、あまり長い季語は入れられません。
そこで「夏」という文字を放り込んでみましょう。「私」を消して「三日目の豚汁に殺された夏」とすると五・五・七の十七音になりますが、やはり「私」という字があったほうが句として面白い。
夏三日目の豚汁に私殺された
となさってはどうでしょうか。
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