主人公は誰でしょう
高浜虚子にこんな句があります。
山川にひとり髮洗ふ神ぞ知る
肌脱いで髮洗はんとしたるとき
「髪洗ふ」は夏の季語。角川文庫『新版俳句歳時記夏の部』に「夏は婦人は汗と埃で、頭髪から不快な臭気を発するので、たびたび洗わなければならない」とあります(男も同じですが……)。「山川に」の句から私は泉鏡花の『高野聖』を、「肌脱いで」の句からは浮世絵を想像します。これらの句の主人公は妙齢の婦人でなければなりません。作者の虚子はこのとき67歳のオジサンです。句の主人公は決して作者その人であってはならない。
では、この句はどうでしょうか。
せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ
作者は叙情的な作風で知られる女流俳人。彼女の前半生は、思春期に発病した脊椎カリエスの療養に費やされました。「せつせつと」という思いで髪を洗うのは野澤節子その人でなければならない。
俳句の場合、句の主人公(句の語り手、作中主体とも言う)が誰であるか、明示されていないことが多々あります。その場合、読者がその句の主人公が誰であるかを適宜補って読む必要があります。国語の問題で省略された主語を問うのと同じです。
今回は、投稿句の主人公が誰か、どんな人かを読者の立場で考えてみましょう。
読者に想像させる
初蝶や海なき街に住んでゐる
進藤凜華さん(仙台市、会社員20歳)の作。春先に初めて見かける蝶(ちょう)を俳句では「初蝶」といいます。「海なき街」は厳密に考える必要はなく、野や山に囲まれた街を思い浮かべればよいのです。そんな街に忽然(こつぜん)と現れた初蝶。「海なき街に住んでゐる」という事態は作者自身のことと想像します。
プールサイドまだ好きなままでいたかった
米屋結衣さん(県立大1年)の作。プールが夏の季語。ある人のことを好きでなくなった。本当は好きでいたかったのに。作者自身の心境を詠った句と思われます。
門限を初めて破り秋の虹
同じく米屋さんの作。門限を破ったという友達の体験談でも句は作れますが、今回が「初めて」だと認識するのは作者自身の体験だからです。
花冷えに指輪の嵌る手をなぞる
加藤菜々さん(由利本荘市、会社員23歳)の作。「指輪の嵌る手をなぞる」は指輪を確かめながら手に触っているのでしょう。自分の手の結婚指輪に触れて幸せを噛(か)みしめる。あるいは不倫相手の手を握ったら指輪に触れたのかも。ある一場面を描いたコントのような句です。主人公がどんな立場のどんな人物であるかは読者の想像次第です。
たんぽぽを愛でるふりだけうまくなり
同じく加藤さんの作。タンポポが好きなふりをする女(男?)。自分を純情そうに見せるのが巧(うま)くなったのです。そんな男女の機微が面白い。この句の鑑賞も読者の自由な想像に委ねられています。
人物を限定する
夏祭り浴衣姿がよく似合う
三谷愛華さん(能代西高1年)の作。
夏祭彼女浴衣がよく似合う
または「夏祭彼は浴衣がよく似合う」「夏祭君は浴衣がよく似合う」「夏祭わたし浴衣がよく似合う」「夏祭姉は浴衣がよく似合う」のように、「姿」の三文字を消し、浮いた三文字で浴衣の似合う人物を限定してはどうでしょうか。夏祭には浴衣が合うとも読めますが、そう解釈すると面白くありません。
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