ゆく年くる年を詠む

(2020年12月21日 付)

 俳句では、同じモノが年内の季語にも新年の季語にもなっている場合があります。たとえば日記。「日記買ふ」は来年の日記を買うこと。冬の季語です。

山口青邨

実朝の歌ちらと見ゆ日記買ふ

 博文館の日記には各頁に和歌や俳句が刷り込まれています。書店の店頭で来年の日記の頁を開いたら、源実朝の歌がちらと目に入った。実朝といえば、小林秀雄の『実朝』に引かれた〈大海の磯もとどろに寄する波われて砕けて裂けて散るかも〉や〈箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波のよるみゆ〉、「百人一首」にある〈世の中はつねにもがもな渚漕ぐ海士の小舟の綱手かなしも〉など。どんな歌を思い浮かべるかは読者次第です。新しい日記を手に取った作者は、きっと書店のレジに直行したことでしょう。

 こうして買った日記を、年が明けて使い始める。それを「初日記」といって、新年の季語としています。

 

久保田万太郎

初日記いのちかなしとしるしけり

 小説家・劇作家として活躍した万太郎は昭和34(1959)年の元日の日記に「いのち(命)かなし」と記しました。このとき69歳。「かなし」は「悲し」「哀し」「愛し」がないまぜになったような感情でしょう。その3年後、同棲していた女性に先立たれた万太郎は〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉という絶唱を残しました。

 年末の「日記買ふ」と新年の「初日記」のような、季語のペアはいくつもあります。「暦売(こよみうり)」と「初暦(はつごよみ)」、「賀状書く」と「賀状」など。

 今年最後の掲載となる今回は、特別編として、年末の季語を用いた作品をご紹介し、年が明けて最初の回(1月11日付)は同じモノが新年にどう詠まれているかをご覧いただきます。まずは暦(カレンダー)から。

松本たかし

暦売古き言の葉まをしけり

 「まをしけり」は「申しけり」。かつては伊勢神宮の暦を、神社の使用人が売り歩いていたそうです。きっと昔ながらの口上を使ったのでしょう。

 

久保田万太郎

古暦水はくらきをながれけり

 「古暦(ふるごよみ)」は残り少なくなった暦のことで冬の季語。この句は「昭和二十六年をおくる」と詞書(ことばがき)があるので大晦日(みそか)の作。役目を終えようとする暦を見つつ、寒い夜の暗がりをひたひたと流れてゆく水に、ふと思いを馳(は)せています。

 

岸本尚毅

古暦丸めて犬の頭を叩く

 拙句を引きます。大晦日、役目の終ったカレンダーを丸め、土間の隅にいる飼い犬の頭をポンポンと軽く叩いてみました。犬はキョトンとしています。

 「いのちかなしとしるしけり」「水はくらきをながれけり」のような格調高い句はなかなか真似出来ませんが、拙句のような気楽な作り方もご参考になると思います。

 正月の準備の「飾売」「注連(しめ)飾る」「門松立つ」「餅つき」なども年末の季語です。

 

森桂樹楼

振り上げし杵ふら〳〵と太鼓持

 「太鼓持」は遊客の機嫌をとり、酒興を助けるのを仕事とする男(幇間(ほうかん))。「こんどは手前が搗(つ)いてみせましょう。こんなの朝飯前ですよ」と杵(きね)を振り上げたものの、扇子(せんす)より重いものは持たない商売のかなしさ。足元がふらつくのも愛嬌のうち。客をまじえて餅をつく遊郭の情景が想像されます。「餅つき」という言葉はありませんが「振り上げし杵ふら〳〵と」で様子がわかるので「餅つき」の句として通用します。

 

岸本尚毅

知らぬ子と遊ぶ吾が子や賀状書く

 もう一句、拙句を引きます。「賀状書く」も年末の季語です。賀状を書きながらふと窓の外を見る。うちの子が遊んでいる。一緒に遊んでいるあの子はどこの子だったっけ、という心持ちです。

 次回は、今回ご紹介した句と同じモノを詠んだ新年の句を鑑賞する予定です。

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