人物描写のいろいろ

(2021年1月18日 付)

 本連載第17回(12月7日付)に続いて人物を詠(うた)った句を取り上げます。今回は、人物の描き方を見ていきましょう。

 

 流れ星悲しと言ひし女かな 高浜虚子

 

 昭和22(1947)年作。虚子は73歳。この句には二通りの読み方があります。一つ目は「流れ星」と「悲し」をつなげて読む。「悲し」の主語は流れ星です。「流れ星って悲しいね、と女は言った」。
 二つ目は「流れ星」で切って読む。「流星が見えた。そのとき女は言った――何だか悲しいね」。
 流星は秋の季語です。理由は、大気の澄んだ秋は流星が見えやすいから。〈星のとぶもの音もなし芋の上 阿波野青畝〉のような自然詠もありますが、冒頭の虚子の句のように「流れ星」を切り口にして人物を詠んだ作例もあります。この虚子の句の73年後、高校生がこんな句を詠みました。

句中に切れ目をつくる

流星を横目で見ては息を吐く

 岩谷ゆいさん(秋田西高3年)の作。「息を吐く」はため息でしょうか。願いごとを言わないうちに流れ星が消えてしまったのかもしれません。「横目で見ては息を吐く」に気持ちが表れていますが、形の上からは句の中に「切れ」がほしい。素っ気ない句になりますが、

流れ星横目に見たり息を吐く

としてはいかがでしょうか。上五は「流星を」の「を」を略し、「流れ星」としました。
 さきほどの虚子の句は「女かな」で句中の人物を明示しました。次の句の人物描写は少し趣を異にします。

 

 

 背中には銀河かかりて窓に腰 虚子

 

 

 昭和19(1944)年作。銀河が秋の季語。銀河を背にして窓に腰掛けている。絵に描いたような情景です。さきほどの「流れ星」の句もそうですが、想像の作かもしれません。「背中には銀河かかりて」は作者自身ではなさそうです。性別も年齢も示されていませんが、気取ったポーズは若者を想像します。では、次の句はどんな人物を詠んだのでしょうか。

夜桜を待ってゐられぬ歳になる

 さきほどの「流星を」と同じ岩谷ゆいさんの作。「歳になる」は作者自身のことでしょう。高齢の作者なら「夜桜の頃まで私の命は持つだろうか」という意味になりますが、作者は高校生。「待ってゐられぬ」は高3になって忙しく、夜桜を見たくても、夜になるのを待っていられない、という意味でしょうか。私は還暦のオヤジですから、若い人の心の機微はなかなか分からないのですが…。

窓開けてそよぐ風から夏を知る

 高橋優さん(横手高1年)の作。初夏の窓辺が想像されます。句の中の人物は「夏を知る」とありますから、作者自身だと思います。岩谷さんの「流星を」と同様、句の中に切れ目がほしい。

窓開けてそよぐ風あり夏を知る

とすれば、「風あり」で切れて、形のよい句になります。

表現を単純化する

父の日を温いコーラで思い出し

 高橋凛さん(横手高1年)の作。父の日と温(ぬく)いコーラの関係が謎めいています。そこが面白い。この句の眼目は「父の日」と「温いコーラ」の奇妙な出会いですから、単純化して

父の日の温きコーラを飲みにけり

とする手もあります。
 人物を詠んだ句は複雑になりがちです。句の中に「切れ」を設けたり、表現を単純化して、極力すっきりと仕上げることが大切です。

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