めりはりを生む「は」

(2021年3月22日 付)

 (1)木啄も庵やぶらず夏木立 芭蕉

 

 (2)あか〳〵と日難面も秋の風 同

 

 (3)わせの香や分入右有磯海 同

 

 『奥の細道』から助詞の「は」(下線)を使った句を拾いました。「は」を使わずに「(1)庵をやぶらず」「(2)日の難面も」「(3)分入右に有磯海」でも句は成り立ちます。ではなぜ「は」を使ったのでしょうか。
 (1)木を突き破るキツツキも、有難い仏道の庵だけは破らない。
 (2)風は秋だが、日の光だけはあかあかと照りつける。
 (3)早稲の香に分け入ったならば、右手には、歌枕の有磯海が見えるはずだ。
 「は」を強調して現代語訳しました。「は」がアクセントとなって、めりはりのある表現となっています。「飲みに行こうよ」「山田君は行くけど、俺は行かないよ」というように、「は」は他と区別して何かを取り出して言うときに使う助詞です。今回は「は」に着目して投稿作品を見ていきます。

状態より存在を示す

秋の野のすがすがしさは父の影

 伊藤愛理さん(湯沢高2年)の作。草花の咲く秋の野に立つ父。足元にくっきりと影が落ちている。秋の野から「すがすがしさ」だけを抽出したような、颯爽(さっそう)とした父の姿。「すがすがしさは」の「は」が歯切れよい。この句、

秋の野のすがすがしきは父の影

とする案も考えられます。「すがすがしさ」は清々しい状態です。「すがすがしき(すがすがしきもの)」は清々しい存在です。状態より存在のほうが、確かな句になります。

主題をはっきりさせる

秋空の夕焼け照らすは童顔

 横山由宇さん(本荘東中3年)の作。秋の空はもう夕焼。夕日が照らすものは子供たちの顔。郷愁を誘う情景です。「夕焼けの照らす童顔」でも句は成り立ちますが、「は」を用いて「夕焼け照らすは」とすると、夕日の照らす対象として「童顔」がクローズアップされます。

銃声の止んで猟期は果てにけり

 土谷敏雄さん(84歳、由利本荘市)の作。「猟期終る(猟期果つ)」は春の季語。いつしか銃声が聞こえなくなった、猟期は終ったのだと実感したのです。「猟期は」の「は」が効いています。「銃声の止んで猟期の果てにけり」でも句になりますが、この形では「銃声の」と「猟期の」とが同じ重みです。「猟期は果てにけり」とすると「猟期」が一句の主題であることがはっきりします。

 芭蕉にこんなユニークな句があります。

 夕がほや秋はいろ〳〵の瓢かな 芭蕉

 夏は夕顔が咲き、秋にはそれが大きさや形の異なる色々な瓢(ふくべ・夕顔の実で干瓢(かんぴょう)の材料)になるのだ、という意味。夕顔が夏、瓢が秋の季語です。この句、夏秋の季語の混在に加え、「や」と「かな」が併用されています。切字の併用は避けるべきこととされていますが、この句では、「秋は」の「は」によって夕顔から瓢へ話題が転換します。それゆえに「や」と「かな」の併用が気になりません。
 この芭蕉の句と同様の「は」の使い方をしたのが、中村草田男の名句です。

 降る雪や明治は遠くなりにけり 草田男

 「明治は」の「は」によって、句の話題が「降る雪」から「明治」に転換しています。それゆえに「や」と「けり」の併用が気になりません。
 「~は」という言い方は説明的・散文的になるおそれもありますが、「は」は巧(うま)く使うと便利な助詞です。句作や鑑賞のとき「は」に注目してはいかがでしょうか。

さあ、あなたも投稿してみよう!

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