春の特別編 人生の悲喜を味わう

(2021年4月5日 付)

高浜虚子

大試験山の如くに控へたり

 人生を左右する大きな試験が、大きな山のように目の前に立ちはだかっている。季語は、進級や卒業を決める「大試験」(春)です。卒業や入学も春の季語です。今回は新年度にちなみ、特別編として大試験(落第)、卒業、入学を詠んだ俳句をご紹介します。

 

中村草田男

落第の弟きのふもけふも哀れ

 「ホトトギス」1940(昭和15)年6月号の高浜虚子選に入った句です。草田男は後年この句を

 

受験禍の其子がきのふもけふもあはれ

と改作しました。若き日の草田男は神経衰弱のため休学を繰り返し、大学を卒業したときは32歳でした。青春の蹉跌(さてつ)を経験した草田男は、受験は「禍」だと言いたかったのでしょう。しかし俳句として魅力的なのは、社会批判の「受験禍」より、「弟」の情けない顔が見えるような、改作前の「落第の弟」のほうだと思います。

 

高浜虚子

志俳句にありて落第す

 この句を詠んだとき虚子は78歳。子供の頃から優等生だった虚子ですが、青年時代に文学を志し、20歳のとき仙台の旧制二高を中退しました。学業を放擲(ほうてき)した虚子は、やがて俳壇の大御所となりました。

 

西田潤

白澄と名を改めて入学す

ホノルゝの寺を貰うて卒業す

 入学の句は1932(昭和7)年、卒業の句は翌33(昭和8)年。作者は高野山の人。「白澄」という法名を授かって僧侶養成所で一年間学び、卒業後はハワイの寺の住職になることが決まっていたのでしょう。

 

北尾如山

老僧と言はれ慕はれ卒業す

 この句の作者も高野山の人。若くして学友から「老僧」と呼ばれていた学僧の面持ちが想像されます。

竹下しづの女

母の名を保護者に負ひて卒業す

 女流俳人として名高いしづの女は、1933(昭和8)年に夫を亡くしました。風呂を出た途端に「うっ!」といってすわりこんだ夫の容態から脳溢血(いっけつ)と悟ったしづの女は、夫の耳元で「子供は立派に育てます。心配なさるなっ!」と叫びました。掲句は夫の死の翌年、長男が福岡中学を卒業したときの作です(坂本宮尾『竹下しづの女』)。

 

井上隆代

これよりは亡き母代わり卒業す

 学校を卒業した長姉が、これからは亡くなった母に代わって自分が弟や妹の面倒を見る、というのです。1937(昭和12)年の句。

 

山口誓子

入学や昆布干したる学びの舎

 入学した学校の校庭にも昆布が干してある。昆布の産地の風景です。作者の誓子は1910(明治43)年、9歳のときに母を喪(うしな)いました。その翌年、樺太日日新聞社の社長であった祖父に引き取られ、樺太の尋常高等小学校に転入。掲句は1929(昭和4)年、誓子が27歳のときの句ですが、樺太で過ごした少年時代の思い出を詠んだ句と思われます。

 

本田一杉

かくし子の入学雪のみちのくに

 1935(昭和10)年の句です。雪深いみちのくの町に「かくし子」がいて、小学校に上がる年になったのです。同じ作者の句に

 

かくし子のみめうるはしきひゝなかな

があります。「かくし子」は可愛(かわい)らしい女の子で、初節句には美しい雛(ひな)人形を買ってもらったのでしょう。そんなことからも、この子供の境遇が想像されます。
 「大試験(落第)」「卒業」「入学」は人生の前半の大きな節目です。先人の句を読むと、句の向こうにいろいろなドラマが想像されます。俳句は想像力の文学である、ということを改めて思います。

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