四季折々の「雨」を詠む

(2021年5月3日 付)

 「長崎は今日も雨だった」とか「雨の御堂筋」とか(昔流行(はや)りました)、雨は風情のあるものです。俳句では雨に四季折々の表情を見出してきました。

 

 春雨の相合傘の柄漏りかな 高浜虚子

 

 傘の柄を伝う雨のしずくにも、しっとりとした春雨の風情があります。

 

 五月雨の相合傘は書生なり 虚子

 

 春雨の相合傘はきっと男女でしょう。梅雨の相合傘は書生と書生の男同士。「貴君は傘がないのか」「この前破れてしまった。金がなくて買えないんだ」「梅雨どきだぜ。しょうがない奴だなあ」とでも言っているのでしょう。

 

 秋雨や身をちぢめたる傘の下 虚子

 

 「身をちぢめたる」が、ものさびしく、うすら寒い秋雨の感じです。

 

 寺の傘茶店にありし時雨かな 虚子

 

 寺の名を記した傘が茶店に立て掛けてある。京都あたりの時雨の風情です。

 雨と傘のように互いに近いものを詠み込むとなかなか良い句が出来ないものですが、さすがは虚子先生、季節によって異なる雨の風情を見事に詠み分けています。

 さて今回は「雨」を詠み込んだ投稿句を見ていきます。

適切な季語を選ぶ

雨の音響いて止まぬ我家かな

 阿部一輝さん(横浜市、中学1年)の作。巧(うま)く出来た句ですが、季語がありません。雨の季語を入れてみましょう。音が響くほどの雨ですから、静かに降る春雨ではない。「響いて止まぬ」ほどに降り続ける雨ですから、夕立や時雨のような短時間の雨ではない。「響いて止まぬ」は窓を閉めた家の中で雨音を聞いている感じがしますから、夏ではなく、「春の雨」「秋の雨」「冬の雨」がよさそうです。作者がこの場面に遭遇したのが春なら、

春の雨響いて止まぬ我家かな

がよいと思います。

春雨や有縁無縁の野のほとけ

霊廟の森の深さや木の芽雨

 塩野薫道さん(埼玉県川越市、72歳)の作の二句。「木の芽雨」は木々が芽吹く頃の雨。もしも〈木の芽雨有縁無縁の野のほとけ〉だったら「木の芽」と「野」の関係がしっくり来ない。一句目は「春雨」が無難です。二句目は「春の雨」より「木の芽雨」のほうが、「森」の描写が深まります。「野」には「春雨」、「森」には「木の芽雨」というように、この二句は情景によって雨の季語を巧く使い分けています。

季語に応じた表現を考える

静寂を咲き初めて割る木の芽雨

 篠木諒太さん(横手市、19歳)の作。春先の静寂を割るかのように木の芽が現れた。木の芽の中には花芽もありますが、まだ咲いてはいないので、「咲き初めて」という表現はマッチしません。たとえば

静寂を割りて木の芽や山に雨

とされてはいかがでしょうか。下五は「街に雨」「庭に雨」なども考えられます。

体育が終わってからの春時雨

 伊藤柚希さん(能代西高を今春卒業)の作。にわかに降って来る春の時雨の感じがわかります。少し形を直しましょう。

体育が終わりて春の時雨かな

省略して想像させる

おしゃべりの花咲く女子や冬の雨

 西平礼子さん(那覇市、34歳)の作。沖縄の作者ですから「冬の雨」といってもそれほど寒々とした感じではないのでしょう。「女子」を省略し、

花の咲くやうにおしゃべり冬の雨

とされてはいかがでしょうか。

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