続・夏の特別編 生と死の交錯する月

(2021年8月23日 付)

 今回も「夏の特別編」として、8月を詠んだ句を紹介します。8月といえば夏休み。夏休みといえば帰省です(コロナ禍がなければ)。

高野素十

水打つて暮れゐる街に帰省かな

 「帰省」は夏の季語。故郷の町に到着したのは夕方。あちこちで打ち水をしている。

 

石田雨圃子

寺の子は寺のつとめや夏休

 夏休み、寺の子は寺の用事や住職になる修行をするのです。1932(昭和7)年の句、石田雨圃子(うぼし)=1884~1952年=は旭川市内の寺の住職でした。

 

原石鼎

寺の扉の谷に響くや今朝の秋

 「今朝の秋」とは立秋。山の中の寺の扉を開けたてする音が谷に響きます。2021年の立秋は8月7日。暦の上では8月の大部分は秋なのです。

 

星野立子

干草にのしかゝりては束ねけり

 「干草」は夏の季語。ところが次の句は「八月」があるので秋の句です。

 

有馬草秋

干草を終へて八月大名かな

 「八月大名」とは「農家にとって8月は労働をあまり必要とせず、気楽な月である」(『広辞苑』)という意味。

 

川島奇北

百姓の広き庭なり盆の月

 

竹下しづの女

故里を発つ汽車に在り盆の月

 

神谷阿乎美

山を出し月を合図に踊かな

 

 盆、踊(盆踊)は秋の季語です。

 

河野静雲

盆布施のきばつてありしちとばかり

 作者は僧。盆の読経に行った檀家(だんか)がお布施の金額を「ちとばかり」奮発してくれたのです。

 

山口青邨

ふんばれる真菰の馬の肢よわし

 

中村汀女

あひふれし子の手とりたる門火かな

 

山口誓子

古びたる午下の日輪川施餓鬼

 

皆吉爽雨

ふるさとの色町とほる墓参かな

 

松藤夏山

燈籠の海となりたる墓淋し

 

原石鼎

松風にふやけて疾し走馬燈

 

吉岡禅寺洞

ひたすらに精霊舟のすゝみけり

 

高野素十

流燈に下りくる霧の見ゆるかな

 

村上鬼城

送火やいつかは死んで後絶えん

 

 真菰(まこも)の馬、門火(迎え火と送り火)、施餓鬼(せがき)、墓参り、盆燈籠、精霊舟、流燈などは盆の頃のなつかしい風物です。

 8月は原爆忌の月でもあります。

 

西東三鬼

広島に月も星もなし地の硬さ

 

広島の夜蔭死にたる松立てり

 

広島や卵食ふ時口ひらく

 

 1947年発表の句。同年、俳人の高屋窓秋はこれら三鬼の句を「月も星もない。黒い生の可能なき大地」「枯れた松は、死の象徴」「辛うじて一個の白い卵を食ふために、わずかに口を開くばかり」と評しました。

 引用句と評はGHQの検閲により削除されました。連合国に対する日本人のresentment(怨恨)を惹起(じゃっき)する、という理由でした。「広島や卵食ふ時口ひらく」だけは削除を免れました。削除されなかったのは「検閲官が見落としたか、俳句が読めなかったか」(川名大『昭和俳句の検証』)。「卵食ふ時口ひらく」は広島と結びついて極限的な生の様相を喚起します。意外な角度から原爆の恐怖を捉えた句ですが、検閲官はこの俳句の持つ詩の力に気づかなかったのでしょうか。

 8月6日は広島忌。9日は長崎忌。15日は終戦(敗戦)の日です。

 

安住敦

てんと虫一兵われの死なざりし

 

高浜虚子

敵といふもの今はなし秋の月

 

三橋敏雄

敗戦の日の夏の皿今も清し

 

 そのとき敦は従軍中、虚子は疎開中でした。敏雄の句は戦後30年を経て敗戦の日を振り返っています。

 8月は思い出の多い月です。学校の夏休み。お盆の里帰りと墓参り。原爆、終戦という歴史上の記憶がぎっしりと詰まった月でもあります。夏の真っ盛りに生の喜びを謳歌(おうか)しながら、しのび寄る秋を感じ、さらには生と死の境を身近に思う。8月は不思議な月です。

さあ、あなたも投稿してみよう!