「前書」の効果を考える

(2021年9月20日 付)

あなたなる夜雨(よさめ)の葛のあなたかな 芝不器男(ふきお)

 

 この句は一体どんな意味でしょうか。そのまま散文にすると「かなたにある夜の雨に濡れた葛。さらにそのかなたであることよ」。野山に茂る「葛」が秋の季語。遠くの葛の、さらにその遠くを思っている。一片の詩としてはそれで十分ですが、もう少し深く読みたい気もします。

 この句には「二十五日仙台につく みちはるかなる伊予の我が家をおもへば」という前書(まえがき)があります。1926(大正15)年、愛媛県出身の不器男は仙台の東北帝大に遊学。故郷を思ってこの句を詠みました。「あなたかな」は「伊予の我が家」なのです。

 俳句、とくに慶弔の挨拶(あいさつ)句には前書がよく用いられます。たとえば

 

 菊池寛、逝く。……告別式にて
花にまだ間(ま)のある雨に濡れにけり 久保田万太郎

 

 小説家の菊池寛は1948(昭和23)年3月6日逝去。「花にまだ間のある」ときでした。「濡れにけり」に弔意を託しました。慶弔句以外にこんな句もあります。

 

 家人をかなしむ
蝙蝠(こうもり)に口ぎたなきがやまひかな 万太郎

 

 蝙蝠が飛ぶ夏の夕方、やっと涼しくなったと思ったら今日もカミさんの毒舌だ、あれは一種の病気だよ、というのです。恐妻家の作者は、句の前書に「家人をかなしむ」と書いてボヤいたのです。

 今回は、前書という手法を視野に入れて投稿句の添削を試みます。

「前書」の必要性を吟味する

濃いゼリーもらう亡母の湯治宿

 渡辺舞子さん(秋田市、29歳)の作。涼味のあるゼリーは夏の季語。亡母と行った湯治宿で「濃いゼリー」を食べた。その思い出を詠(うた)った句です。

 作者ご自身の説明には「幼い頃から母と玉川温泉へ湯治に行っていた。料理の味が薄いのが好きではなかったが、唯一味の濃かったゼリーだけが楽しみだった」(要約)とあります。句の意味はわかりました。ただし言葉遣いが少し窮屈です。もう少しゆったりした詠み方にするなら、

母と行きし湯治の宿のゼリーかな

ですが、ゼリーの味が濃いことまでは詠みこめません。逆に、ゼリーのことを中心に詠むならば、

湯治宿ゼリーの味の濃かりけり

ですが、こんどは母のことが詠み込めません。作者の心のなかでは、3年前に他界されたというご母堂の思い出と、味の濃いゼリーとが結びついているのです。この思いをすべて十七音の俳句に詰め込むのは難しい。そこで、先人の作例も参考にして前書を添えてみましょう。

幼き我を玉川温泉に伴ひし母も既に亡く
湯治宿ゼリーの味の濃かりけり

 なお高浜虚子は、前書に頼ると句の表現が不完全になるおそれがあるので、前書を使うのはやむを得ない場合だけにすべきだと説いています(『虚子俳句問答』)。たしかに虚子の言う通りですが、その虚子も前書のある句をよく詠んでいます。

 

愚鈍なる炭団(たどん)法師で終られし 虚子

 

 句だけ読むと何のことだかわかりません。前書は「富士見に在る佐久間法師、急性肺炎にて逝く」。愛すべき人物だった弟子が急逝。同情を込めて、わざと「愚鈍なる炭団法師」と詠んだのです。

 

而(しこう)して蠅(はえ)叩きさへ新しき 虚子

 

 前書は「佐藤眉嶺結婚」。何もかもが新しい、蠅叩きさえ新しい、というのは新婚夫婦を寿(ことほ)ぐ句だったのです。

さあ、あなたも投稿してみよう!