冬の特別編 「雪」はドラマチック

(2022年1月10日 付)

 今回は冬の特別編として、雪を題材にした俳句をご紹介します。

芭蕉

いざゆかむ雪見にまろぶ所まで

 さあ雪見に行こう。雪にすべって転ぶ所まで。雪見に興じた句です。古来、雪月花といって四季を愛でてきた日本人にとって、雪は代表的な風物です。他方、雪国の人々にとっての雪は決して風流韻事(ふうりゅういんじ)ではない。生死に関わる大事です。

一茶

是がまあつひの栖か雪五尺

 一茶は一時期江戸に出ていましたが、51歳で信州に帰郷。雪五尺に埋もれる故里で死ぬまで暮らすのか、と嘆息しています。遊び心で雪見を詠んだ芭蕉の句と、雪国に暮らす覚悟を詠んだ一茶の句は対照的です。作品の現場が雪国か、雪のない地方かによって、雪の句は趣を異にします。まずは雪深い風土を詠んだ句を拾います。

前田 普羅ふら

雪垂れて落ちず学校始まれり

 屋根から雪が垂れ下がったままで落下はしない状態。そんな軒下を通って子供たちは学校に通うのです。

土屋立葵子

戸にどんと人の当りし吹雪かな

 吹雪によろめき道端の家の戸にぶつかる。「どん」に迫力があります。作者は高田の人。高田といえば〈縁談の越の高田は雪どころ 浅井啼魚(ていぎょ)〉という句があります。

佐藤 漾人ようじん

故郷へ道一筋や雪の原

 作者は山形県出身。雪の野原を抜ける一筋の道を故郷へ急ぐところ。

岡田 耿陽こうよう

煙突の掘り出してあり雪の屋根

斎藤 八郎

つぶれ家ありとふれ来し夜の雪

 雪に埋もれた屋根から煙突を掘り出す。雪で潰(つぶ)れた家がある、気をつけろ、と町内の人が触れて回る。雪のきびしさを思わせる作品です。

中田みづほ

雪掻きの人夫通りぬ汽車の中

及川 仙石

ひしめきて除雪人夫の出て行かず

 それぞれ昭和9(1934)年、同11(36)年作。「人夫」という語は今日では使いません。除雪作業員が列車の中を通ってゆく。溜(た)まり場に作業員が大勢いるが、なかなか出て行こうとはしない。ある時代の新潟の情景です。その一方でこんな句があります。

星野 立子

葉の下に雪をかむらぬ玉椿

 椿(つばき)の木に雪がつもっている。葉の下には玉のような花が雪を被(かぶ)ることなく鮮やかに咲いている。日本画の小品のようなこの句の作者は、温暖な鎌倉在住の俳人です。

菊池まさを

ものゝかげ薄紫や雪の上

 雪の上に曳(ひ)くものの影の色が「薄紫」だというのです。雪にさす日の光を繊細に捉えた句。作者は横浜在住。

川端 茅舎ぼうしゃ

白雪を冠れる石のかわきをり

 石の上に雪が残っているものの、石の表面は乾きつつある。作者は東京在住。

 

 おしまいに、劇的な場面と雪を取り合わせた句を紹介します。

 

中田みづほ

刻々と手術は進む深雪かな

 作者は医学者。大正15(1926)年、ドイツ留学中の作。

 昨年11月1日付の本欄では二・二六事件を詠んだ句として〈頻(しき)り頻(しき)るこれ俳諧の雪にあらず 中村草田男〉を引きました。同じ日の東京の雪を、別の俳人は〈帝都今日雪霏々(ひひ)として戦車ゆく 赤星水竹居(すいちくきょ)〉と詠みました。「雪霏々」が不穏です。さて、

和田 悟朗

死なくば遠き雪国なかるべし

という謎めいた句があります。もしも「死」が無ければ「遠き雪国」は存在しないはずだ。裏返せば、人の命に限りがあるからこそ「遠き雪国」に憧れるのだ。――私はこんなふうに鑑賞します。雪国に暮らす人から見ると、ずいぶんとのん気な俳句かもしれませんが……。