追悼・安井浩司 謎めいた孤高の俳人
二階より地のひるがおを吹く友や
二階の窓から顔を出し、地べたに咲く昼顔に向かってフーッと息を吹きかけようとする。そんな奇妙なことをする「友」とはどんな人でしょうか。そのあたりは読者が自由に想像すればよい。昼顔の咲く、明るい陽光の中の白昼夢のようなイメージを描出した作品です。作者は1月14日、85歳で亡くなった俳人の安井浩司。能代市出身で長く秋田市に住んでいました。今回は特別編として安井の作品を紹介します。
悲しみの多足の蟲が夕空に
「多足の蟲(むし)」とは多足類でしょうか。すなわちムカデ、ヤスデなど。そんな生きものが「夕空」にいる。そう思ったとき、この句はすでに幻想の領域に入っています。私はシュールレアリズム風のイメージを思い浮かべました。ムカデのような影が、黒い染みのように、日暮の空に滲(にじ)んでいる。では「悲しみ」とは何でしょうか。夕空に浮かぶ不吉なシルエットは、人類の背負った「悲しみ」の象徴でしょうか。
すすき原十大弟子も消えにけり
「十大弟子」とは釈迦の十大弟子。釈迦の教えを受け継ぐ弟子たちもやがては消えてしまって、目の前にはただ芒(すすき)の原が広がっている。この句を含む句集は67歳のときの刊。38歳のときの句集には〈ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき〉という作があります。安井の中にはいつも茫漠(ぼうばく)と広がる芒のイメージがあったのでしょう。
安井の俳句は謎めいています。〈柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 子規〉のような、私たちが学校の教科書などで目にするような句とは肌合いを異にします。ここまでに挙げた句は比較的とっつきやすい方だと思います。安井の句集をめくると、次のような句に出合います。
睡蓮や僧侶はうすき膜である
牛に挿すすももの枝の造化なれ
稲の世を巨人は三歩で踏み越える
野蛇みな縦横の糸で出来ておる
天心まで一字の蝶と思うかな
これらの句をもっともらしく解説しようとすると言葉に窮します。安井はこう書いています――わが詩的言語もしくは夢想言語によって導かれる〈変〉の世界から、そこをクリアし、ある超越的世界へと突き出ることを願っていたのであった。底抜けに大きな御空を抱き、かつ抱かれる私でなくてはならない――(『汝と我』後記)。
「夢想言語」を介した「超越的世界」の現出を希求した安井が、影響を受けたという三人の俳人の句を挙げます。
永田耕衣
白桃を今虚無が泣き滴れり
高柳重信
吹き沈む
野分の
谷の
耳さとき蛇
加藤郁乎
昼顔の見えるひるすぎぽるとがる
高柳の作品は独特の多行形式です。昭和期以降、現代俳句は多様な作品を生み出して来ました。その中にあって、安井の句は特異です。大衆性・愛誦(あいしょう)性に背を向けつつ孤高の道を歩んだ安井の作品は、多くはないものの、熱心な読者を得ました。
ずっと以前、私の句集を安井に送ったことがあります。安井は、自分の句と違って貴君の句は切れがあって気持ちがよい、というような返信をくれました。自分よりはるかに若く、はるかに保守的な作風の私の句を、安井は親切に読んでくれたのでした。
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