地名が想像を広げる
前回(7日付)は山や川を詠み込んだ作品を取り上げました。今回は地名を広く捉え、いろいろな作例を見ていきましょう。
紫陽花に秋冷いたる信濃かな 杉田久女
飛騨涼し北指して川流れをり 大野林火
花ちるや瑞々しきは出羽の国 石田波郷
貝こきと噛めば朧の安房の国 飯田龍太
水澄みて四方に関ある甲斐の国 同
若狭には仏多くて蒸鰈 森澄雄
これらは旧国名の風情を生かした句です。たとえば「瑞々しきは出羽の国」と詠まれた「出羽」は、字面や音の響きが綺麗(きれい)です。相撲の「出羽ノ海」やお酒の「出羽鶴」なども良い名前ですね。
春潮といへば必ず門司を思ふ 高浜虚子
「門司」という具体的な地名が、関門海峡の潮流を連想させます。
月暗き熊本城を攻めしとかや 水村
大正元(1912)年の句。月が秋の季語。明治9(1876)年10月に起こった「神風連の変」という史実を踏まえた句と思われます。「神風連」と呼ばれる熊本の士族たちが新政府の方針に反対し、政府の鎮台のある熊本城に夜襲をかけたのでした。「月暗き熊本城」という城の名が句に迫力を与えています。
さて、今回も地名を詠み込んだ投稿句を見て行きましょう。
助詞の効果を生かす
冬空に波は轟鹿島灘
深谷まりさん(茨城県取手市、38歳)の作。「鹿島灘」という地名から、広々とした太平洋が想像されます。この冬空は太平洋側の冬の晴天でしょうか。「波は」の「は」という助詞が歯切れよく、晴朗な感じがします。
季語を上手に使う
房総の春摘みをれば鴎鳴く
森美枝子さん(さいたま市、74歳)の作「房総」は、房総半島の中のどこかの場所。「鴎鳴く」とありますから、海の情景が想像されます。「春摘みをれば」とありますが、春そのものを摘むわけにはいかないので、苦しい表現です。ここでは、春の草を摘む「摘草」という季語を使ってはいかがでしょうか。また上五に「や」を使うと、句に広がりが出ます。
房総や草摘みをれば鴎鳴く
心地よい繰り返し
オンライン秋田訛なまりや秋田蕗
土谷敏雄さん(由利本荘市、85歳)の作。オンラインで話しているお互いが秋田訛である。オンラインでもお国訛りはついて回るのです。その話題が「秋田蕗」なのでしょうか。「秋田訛や秋田蕗」は「秋田」の繰り返しが心地よい。
中七に切れをもうける
この桜母に見せたい横手城
熊谷順子さん(美郷町、69歳)の作。「横手城」という城の名を詠み込んだところが具体的で良いですね。中七にはっきりした「切れ」をもうけましょう。
この桜母に見せたし横手城
具体名で想像させる
こまち号花の郷里へひた走り
二田征作さん(千葉市、76歳)の作。「こまち号」という具体的な列車の名を詠み込みました。「花の郷里」は桜の咲いた秋田と想像されます。
錆浮きし波止場事務所や江戸風鈴
阪上智子さん(神戸市、60歳)の作。地名ではありませんが「江戸風鈴」という具体的な風鈴の名を詠み込んだことで臨場感のある句となりました。「波止場事務所」とある建物はあちこちに錆(さび)が浮くほど古びている。しかし現役のオフィスとして使われていて、江戸風鈴が鳴っている。港の情緒が感じられる作品です。
- (1)「切字」を上手に使おう2020年4月6日
- (2)響きと余韻を楽しむ2020年4月20日
- (3)言葉を実体に近づける2020年5月4日
- (4)文語を使ってみよう2020年5月18日
- (5)詩情を突き詰めれば2020年6月1日
- (6)一字の違いで大違い2020年6月22日
- (7)使う「かな」、削る「かな」2020年7月6日
- (8)後ろの五音でキメる2020年7月20日
- (9)語順を変えてみれば2020年8月3日
- (10)「引き算」でスッキリ2020年8月24日
- (11)比喩で情景を伝える2020年9月7日
- (12)季語の情感を楽しむ2020年9月21日
- (13)「季重なり」を考える2020年10月5日
- (14)人称が印象を変える2020年10月26日
- (15)関係を物語る二人称2020年11月2日
- (16)一人称を使い分ける2020年11月16日
- (17)主人公は誰でしょう2020年12月7日
- (18)ゆく年くる年を詠む2020年12月21日
- (19)新春特別編 新年の表情さまざま2021年1月11日
- (20)人物描写のいろいろ2021年1月18日
- (21)「全集中」で情景描写2021年2月1日
- (22)二つの事柄でつくる2021年2月22日
- (23)「時刻」で詩情を誘う2021年3月1日
- (24)めりはりを生む「は」2021年3月22日
- (25)春の特別編 人生の悲喜を味わう2021年4月5日
- (26)月ごとの気分を詠む2021年4月19日
- (27)四季折々の「雨」を詠む2021年5月3日
- (28)「母」の表情さまざま2021年5月17日
- (29)擬人法で表情豊かに2021年6月7日
- (30)回想も格好の題材に2021年6月21日
- (31)奥深きオノマトペ2021年7月5日
- (32)口語の効果を考える2021年7月19日
- (33)夏の特別編 時代の風俗映す季語2021年8月2日
- (34)続・夏の特別編 生と死の交錯する月2021年8月23日
- (35)「対話」して作品を磨く2021年9月6日
- (36)「前書」の効果を考える2021年9月20日
- (37)「あか」の表情いろいろ2021年10月4日
- (38)色で変わる句の気分2021年10月18日
- (39)特別編 天下の大事に秀句あり2021年11月1日
- (40)詩を生む「取り合わせ」2021年11月22日
- (41)意外な出合いを楽しむ2021年12月6日
- (42)あれもこれもの「も」2021年12月20日
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- (44)強調したいときの「も」2022年1月24日
- (45)追悼・安井浩司 謎めいた孤高の俳人2022年2月7日
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- (65)直喩と暗喩の使い分け2022年12月5日
- (66)物の名前をリズム良く2022年12月19日
- (67)並べて広がる句の世界2023年1月16日
- (68)連作が生み出す臨場感2023年1月30日
- (69)境涯句を連作で詠む2023年2月6日
- (70)「には」には要注意!2023年2月20日
- (71)音を詠んで場を描く2023年3月6日
- (72)音を聞き、情景を見る2023年3月20日
- (73)音ならぬ音を詠む2023年4月3日
- (74)さまざまな音を詠む2023年4月24日
- (75)印象強める体の部位2023年5月8日
- (76)「切れ」で変わる印象2023年5月22日
- (77)色をどう演出するか2023年6月5日
- (78)同じ材料で数句詠む2023年6月19日
- (79)擬音で句を鮮やかに2023年7月3日
- (80)擬態語で動きを活写2023年7月17日
- (81)何を詠み 何を省くか2023年8月7日
- (82)「や」の上手な使い方2023年8月28日
- (特別編)秋田で出合った季語2023年9月4日
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