目立ち過ぎにご注意

(2022年5月2日 付)

 擬人法については、本連載の第29回(2021年6月7日付)でも触れましたが、今回はとくに動詞を使った擬人法について見ていきましょう。

 

秋の暮山脈いづこへか帰る 山口誓子

 

 秋の日暮、夕日に照らされた山脈が長く遠くつらなっている。どこかへ向かって帰っていくかのように。

 

海に出て木枯帰るところなし 同

 

 陸地を吹いた木枯しはやがて海へ吹き抜けてゆく。その木枯しに帰るべきところはない、というのです。

 この二句は「帰る」という動詞を、山や風に用いました。それが擬人法です。ちなみに、木枯しにはこんな句もあります。

 

凩の果はありけり海の音 池西言水

 

 誓子の句の「帰るところなし」に対し、言水の句は、海を吹く木枯しが海鳴りになった、というのです。この両句、木枯しの行方を詠んだところは発想がよく似ていますが、言葉の上では「帰るところなし」と「果はありけり」の「なし」と「あり」とが見事に対照的です。

 

どつかれて木魚のをどる寝釈迦かな 阿波野青畝

 

 涅槃会(ねはんえ)ではげしく木魚を叩(たた)いている。木魚は踊るように動く。どつく、踊る、という動詞を木魚に用いた擬人法です。

 擬人法を使うと句の表情が豊かになりますが、擬人法が目立ち過ぎないよう、注意する必要もあります。以下、投稿を見ていきましょう。

「面白さ」を検討する

うめごちや竿と戯むるピンクシャツ

もぢもぢと藻の揺れゐたる春の川

 高津喜久子さん(岐阜県大垣市、73歳)の作。一句目は、梅の咲く頃の東風に吹かれてシャツが物干竿にからまる様子。それを擬人法で竿と戯れる、と詠みました。この句の場合、梅東風とシャツのピンク色との取り合わせが面白い。いっぽう「戯むる」という擬人法はさほど面白くはありません。竿に絡むという、ふつうの言い方のほうがよいでしょう。「ピンクシャツ」は窮屈です。「ピンクのシャツ」といたしましょう。以下、添削案です。

梅東風や竿にピンクのシャツ絡み

 二句目は、水中の藻という細かいものに目をとめました。恥ずかしがる様子などに用いる「もぢもぢ」を藻に用いたのは一種の擬人法です。この句は観察が中心の句ですから、「もぢもぢ」という言葉は、この句にとっては面白過ぎると思います。では「もぢもぢ」に代えてどんな表現がよいでしょうか。作者と同じ光景をじっさいに見ないとわからないのですが、「藻」と「もぢもぢ」のモの頭韻は生かしたい。仮に、細かい藻が水中にぼんやりと見えているとすれば、「もやもやと」も一案と思います。

もやもやと藻の揺れゐたる春の川

擬人法の生々しさを生かす

せっ伸び引き込み線をくわえ込む

 蝦名瑠緋さん(秋田市、77歳)の作。引き込み線は、電柱から家につないだ電線のことでしょう。「雪庇」とは「山の稜線の風下側に庇(ひさし)のように突出した雪の吹溜り」(『広辞苑』)とありますが、この句の「雪庇」は家の庇(ひさし)に積もった雪のことと解しました。「雪庇伸び」とは、庇に積もった雪がだんだん増えて、せり出すようになったのでしょう。その雪が、引き込み線を包み込んでいる。それを「引き込み線を咥え込む」と、擬人法で表現しました。雪国の経験のない私にも、「咥え込む」は生々しく感じられました。