便利な「や」の使い方
行春や鳥啼魚の目は泪
夏草や兵どもが夢の跡
閑さや岩にしみ入蟬の声
有難や雪をかほらす南谷
涼しさやほの三か月の羽黒山
象潟や雨に西施がねぶの花
汐越や鶴はぎぬれて海涼し
文月や六日も常の夜には似ず
荒海や佐渡によこたふ天河
わせの香や分入右は有礒海
山中や菊はたおらぬ湯の匂
名月や北国日和定なき
寂しさや須磨にかちたる浜の秋
浪の間や小貝にまじる萩の塵
ここに挙げた俳句の共通点は芭蕉の句であること、「奥の細道」での作であること、そして切字(きれじ)の「や」が用いられていることです。「古池や」が俳句の代名詞であるように、「○○や」という語り口はいかにも俳句らしい。
前掲の句を眺めてみると、「○○や」の「○○」にいろいろな言葉が置けることに気づきます。行春、文月、涼しさは時候の季語。夏草、早稲の香、名月はそれぞれ植物・天文の季語。象潟、汐越、山中は地名。「閑さや」「有難や」「寂しさや」は作者の感じや思い。荒海、浪の間は情景です。
句作りのさい「や」はとても便利な文字です。今回は上五に「や」を使った投稿句を見ていきます。
「取り合わせ」を考える
まずは、上五の「○○や」と中七下五で詠んだ事柄の間に直接の関係はない作例を見ることにします。芭蕉の句ですと「菊の香や奈良には古き仏達」がこの形です。菊の花の香りと、奈良の仏像とは特に関係はありません。ただし気分の上で両者は響き合っています。このような句の作り方を「取り合わせ」「配合」などといいます。取り合わせの句を作るとき、「や」はとても便利です。たとえば次の句のように。
行く雁や駅のホームで捨てた恋
千葉優翔さん(秋田市、20歳)の作。「行く雁」は春になって北国に帰ってゆく雁。そのことと「駅のホームで捨てた恋」とは理屈の上では何の関係もありませんが、春の季節感を背景にした別れの寂しさというところで響き合っています。
老鶯や目印となる峰の墓
加藤真綿さん(秋田市、18歳)の作。「老鶯」は夏の山に鳴きわたる鶯(うぐいす)。「目印となる峰の墓」とは、峰に墓標が見えていて、山をゆくときの目印になるのでしょう。鶯と峰の墓とは理屈の上では何の関係もありませんが、山の眺めや気分を示す景物として相呼応しています。
あえて漠然と表現する
炎天やアスファルト蹴る近所の子
堀川南さん(秋田市、19歳)の作。炎天下、舗装したばかりの道路でしょうか、子どもがアスファルトを蹴っている。「木枯しやアスファルト蹴る近所の子」だったら句の気分は全然違います。炎天とアスファルトを結びつけたことによって、真夏のムンムンとした熱気が感じられます。
この句「近所の子」とまで言う必要はなさそうです。アスファルトを蹴るようなことをするのは、たぶん、ヒマそうにそこらをうろついている小学生の悪童連でしょう。「近所」という言葉をもっと漠然とした言い方に変えて、
炎天やアスファルト蹴るそこらの子
とされてはいかがでしょうか。作者の目に映る子どもは、たいてい、そこらへんの子どもですので。
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