「や」の使い方あれこれ

(2022年7月4日 付)

 前回に続き、切字(きれじ)の「や」を見ていきます。「や」を使うと、「や」を挟んで句が上下に分断されます。たとえば「木枕のあかや伊吹にのこる雪 丈草」は「や」を挟んで「木枕のあか」と「伊吹にのこる雪」という二つの部分に分かれます。「木枕のあか」と「伊吹にのこる雪」は、句の調子の上で切れているだけでなく、意味の上でも切れています。では、次の句はどうでしょうか。

 

院長や朝寝十分大股に 夢筆

 

庵主いおぬしや子猫二匹を肩にのせ 感来

 

猫の子や腹をちゞめて一尿ひといばり 素風郎

 

 十分に朝寝をして機嫌よく大股で歩いているのは「院長」なる人物。猫の子を肩にのせているのは「庵主」なる人物。腹を縮めておしっこをしたのは小さな子猫。これらの句では「○○や」の○○が一句の主語になっています。句の調子や形の上では「や」で切れますが、意味の上では、院長が朝寝十分である、庵主が子猫を肩にのせている、猫の子が腹を縮めて尿をした、というように文脈がつながっています。

 「や」という切字を見かけたら、「や」で意味が切れるのか、意味の上では切れていないのか、そのどちらかであるかを考えて句を解釈する必要があります。句を作る場合には、「や」が意味の切れ目かどうかを読者が読み取れるような書き方をする必要があります。

 そんなことを念頭に置きながら、今回も「や」を用いた投稿句を見ていきます。

切れ目の効果を考える

ものの芽や小さき仏の光背こうはい

 田中和美さん(横浜市、60歳)の作。形の上では「ものの芽や」で切れますが、ものの芽は小さな仏様の光背なのだろうか、そんな形をしている、と解釈するのでしょう。

白雪や全てを隠し庭広し

 蝦名瑠緋さん(秋田市、77歳)の作。調子の上では「白雪や」でしっかり切れていますが、句の意味は、白雪が全てを隠しているのです。「や」を使わず「白雪の全てを隠し庭広し」と書いても意味は同じですが、「白雪や」としたほうが、句にふくらみがあるような感じがします。

ゆらゆらと己が一路や蝸牛かたつむり

 松井けい子さん(大阪府太子町、72歳)の作。「ゆらゆらと己が一路や」はカタツムリが殻を左右に傾けながら一途に這(は)い進んでいる様子でしょう。「や」を使わず「ゆらゆらと己が一路を蝸牛」と書くこともできます。「でで虫や己が一路をゆらゆらと」と書いてもよい。「ゆらゆらと己が一路」は作者自身の生き方だと思う読者もいるかもしれません。そのように思うかどうかは自由な鑑賞の範疇(はんちゅう)です。

「理屈」を消す

曲がりてもまた上向くや百日草

 千葉亜紀子さん(大阪府箕面市、59歳)の作。茎が途中で曲がっていて、その先は再び上へ伸びている。百日草そのものを描いた句です。「曲がりてもまた上を向く百日草」と書いても意味は同じですが、「や」があると調子がいい。「曲がりても」の「ても」に理屈があるので、

茎曲がりまた上向くや百日草

とされてはいかがでしょうか。

「や」がつくる「あや」

這ふやうに御室桜や盛りなる

 阪上智子さん(神戸市、61歳)の作。「這ふやうに御室桜の盛りかな」だと単調です。「御室桜や」の「や」で桜を強調したことで、いい意味であやのある文体になりました。