詠嘆の「や」を生かそう

(2022年8月1日 付)

 切字(きれじ)の「や」とは、文法的には詠嘆を表す間投助詞です。それが転じて俳句の切字として使われるようになった(『広辞苑』)。「詠嘆」とは「声を長く引いて歌うこと、声に出して感嘆すること」。芭蕉の「旧里(ふるさと)や臍の緒に泣(なく)としの暮」は「年の暮に故郷に帰った。そこで自分の臍の緒を見たら亡き親が思い出されて涙が出た」という意味。「旧里や」とは「ああ、旧里だなあ」という強い思い。これが「詠嘆」です。今回は詠嘆の「や」という観点から投稿作を見て行きましょう。

作者の思いを目立たせる

うぐいすやゆっくりくわを振り落とす

 池田光隆さん(由利本荘市、77歳)の作。「鶯や」は「おや、鶯の声だ」という意味。一種の詠嘆です。ふつう鍬は「振り下ろす」のでしょうけれど、あえて「振り落とす」といったことで、鍬を振るう勢いと鍬の重さが感じられます。

浅き寝や遠くより来る雁の声

 加藤金勇さん(秋田市、79歳)の作。夜空をわたる雁の声を聞きながら、うとうととしている。「浅き寝や」は「寝の浅いことよ」という詠嘆です。

初空や六道になき我が頭上

 吉田悠二郎さん(東京都清瀬市、77歳)の作。「六道」は仏教でいう「地獄」「餓鬼」「畜生」など六つの迷界。「人間」も含まれる。頭上の初空を仰ぎ、この空は「六道」のどれにもない、すがすがしい空だというのでしょう。「初空や」は「これぞ初空だ」という心持です。

あえて季語を目立たせる

悲しみやあふれ溢れてねぎ刻む

 寿松木(すずき)美和子さん(横手市、56歳)の作。「や」にこだわらなければ「悲しみの溢れ溢れて葱刻む」と書いてもよいのですが、「悲しみや」とすれば「この悲しみをどうすればよいのか」という詠嘆の心持がつよくなります。この句は「悲しみ」が中心で、「葱刻む」は添え物の位置づけです。作品としてはそれでよいのですが、あえて「葱刻む」という季語を目立たせるならば、

葱刻む溢れ溢るるかなしみに

 という書き方もあります。散文で書くと「溢れ溢るるかなしみに葱刻む」ですが、倒置法を用いて「葱刻む」を句頭に置きました。

文法の誤りに注意

初孫や雨にこぼれり桜の実

 初桜さん(栃木県、73歳)の作。「初孫が生まれた」という心持(詠嘆)を「や」に託しました。作者によると「零れり」か「零れし」か迷ったが、「零れし」だと「地に落ちた実が黒く変色した様を想像してしまう」ので「零れし」は避けたとのこと。「零れし」の「し」は過去を意味します。作者のお考えの通り「零れし」だと桜の実はもう零れてしまった状態です。いっぽう「零れり」にも問題があります。一つには、上五が「初孫や」で切れていますから、中七の「零れり」でもう一度切ると句の形がよくない。もう一つ、「零れり」は文法の誤りです。正しくは「零れたり」ですが、それでは字が余ってしまいます。そこで

初孫や雨に零るる桜の実

のように、「零るる」(動詞「零る」の連体形)を用いれば、現在も桜の実がこぼれ続けている状態を表すことができます。また中七で切れることなく「雨に零るる」→「桜の実」と文脈がつながります。そうすれば、句中の切れは上五の「や」だけになり、句形が整います。