臨場感を生む「たり」
公達に狐化たり宵の春 蕪村
春の宵、人に化けた狐は、やんごとなき平安貴族の姿であることよ。
いばりせしふとんほしたり須磨の里 同
ここは須磨の里。歌枕だというのに寝小便をした布団が干してあることよ。
貧乏に追つかれけりけさの秋 同
稼いだつもりだが貧乏に追いつかれた。秋が来たというのに。
鰒汁の宿赤〳〵と燈しけり 同
ともし火がやけに明るくて、さかんに河豚(ふぐ)を食っていることよ。
それぞれに趣向を凝らした句です。細かいところに目を向けると、動詞は「化たり」「ほしたり」「追つかれけり」「燈しけり」という形。「たり」と「けり」を入れ換えて「公達に狐化(ばけ)けり宵の春」「いばりせしふとんほしけり須磨の里」「貧乏に追つかれたりけさの秋」「鰒汁の宿赤〳〵と燈したり」としても俳句は成り立ちます。「たり」と「けり」はどこが違うのでしょうか。俳句を作ったり読んだりする上で、両者の違いは、少なくとも頭ではわかっていたいところ。
今回は「たり」に注目します。「たり」は「てあり」が約(つづ)まってできた語です。夏目漱石の『坊ちゃん』に道後温泉を描写した箇所があります。「湯壺は花崗石を畳み上げて、十五畳敷ぐらいの広さに仕切ってある」「大きな札へ黒々と湯の中で泳ぐべからずとかいて貼りつけてある」「学校へ出てみると、例の通り黒板に湯の中で泳ぐべからずと書いてある」など。「てある」と書くと、読者が作者と同じ場面に居合わせているような感じがします。
最近『俳句がよくわかる文法講座』(文学通信)という良い本が出ました。その本は「たり」を「ある種の時間の流れのなかに、身を置いている感覚」と説明しています。「公達に狐化たり」「ふとんほしたり」は、公達に化けた狐が眼前にいる、布団が眼前に干してある、という心持ちです。いっぽうの「けり」は、そんなことがあった、そんな場面を見たという心持ち。『文法講座』では「出来事を包括的に語る」と説明されています。
ここで「たり」を用いた投稿句を見てみましょう。
手のひらに落つる紅葉を重ねたり
一条まつさん(東京都中野区、14歳)の作。枝を離れて落ちてくる紅葉をてのひらに受け止め、一枚二枚と重ねました。「重ねたり」とすると、その状態が続いているような、紅葉の感触がてのひらに残っているような感じがします。いっぽう「手のひらに落つる紅葉を重ねけり」とすると、そんなことをしたなあ、という突き放した感じがします。たとえば、記憶の中の一シーンとして切り取ってくる場合は「重ねけり」を用います。
分かりやすい動詞を選ぶ
黄緑へ帰り着きたり七変化
坂口いちおさん(群馬県、69歳)の作。七変化はアジサイ。はじめ黄緑色で種々の色を経てもとの緑っぽい色に戻ったと解釈しました。「帰り着きたり」は、帰り着いた黄緑色の状態が続いているのです。「帰り着く」という動詞は、人の動きのようで少しわかりにくい感じがします。「戻る」を使ってはいかがでしょうか。
七変化黄緑色に戻りたる
下五は連体形の「たる」にしました。連体形で止めると、上五の「七変化」に戻ってゆく感じがして、引き締まった感じの文体になります。
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