室生犀星の句を読む 俳句が開いた文士の道

(2022年11月7日 付)

 「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という詩の一節に覚えはありませんか。作者は詩人の室生犀星。『杏っ子』など小説の名作もあります。
 犀星は芥川龍之介の俳句仲間でした。1924(大正13)年、代表句「鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな」を詠んだ犀星は、この句を真っ先に芥川に見せました。芥川の挨拶句に付けた犀星の脇句もあります。

龍之介

据ゑ風呂に犀星のゐる夜寒かな

犀星

ふぐりをあらふ哀れなりけり

 犀星は生涯を通じて俳句を愛し、千七百余句を残しました。そのうちの五百余句が少年時代の作です。
 犀星は旧金沢藩士の実父が密(ひそ)かに生ませた子で、生後すぐに養子に出されました。不遇な少年だった犀星は13歳で裁判所の「給仕」として働き始め、そこで俳句好きの上司の手ほどきで句作を始めます。北國新聞などに投句。地元金沢の俳壇でたちまち頭角を現しました。犀星の俳句の師の藤井紫影(しえい)は、犀星のことを「歌に痩せて眼鋭き蛙かな」と句に詠んでいます。

 今回は特別編として、新刊の『室生犀星俳句集』(岸本尚毅編、岩波文庫)から少年時代の句をご紹介します。

水郭すいかく一林いちりん紅し夕紅葉

 15歳。新聞俳壇に入選し、はじめて活字になった句。水郷の村の遠景です。ひとところ赤く紅葉した林があり、夕日がさしている。漢文調、画趣のある句です。大人の句を見よう見まねで作ったのでしょう。老成しています。

雨細き若葉の裏の毛虫かな

 16歳。雨と若葉と毛虫の情景をしっとりと詠みました。身近な自然に対する繊細な感性がうかがわれます。

山家集読終へて雁をききにけり

 17歳。西行の和歌を読み、雁の声を聞く。いっぱしの文人気取り。

馬の耳に蠅冬籠ふゆごもる夕べかな

 17歳。寒さを逃れ、馬の耳に入り込む蠅(はえ)。馬と蠅と、生きものに対する同情の感じられる作。

学寮や顔塗られをる昼寝人 

 18歳。学寮で昼寝する学生の顔に墨を塗る悪戯(いたずら)。家庭の事情で高等小学校を中退した犀星は学生生活に憧れ、学歴コンプレックスを抱えていました。若者の滑稽なひとこまを詠んだ句ですが、学生の青春を羨(うらや)む犀星の淋(さび)しい気持ちも推察されます。

固くなる目白の糞や冬近し 

 18歳。冬が近づくと目白の餌は水気の少ないものとなり、糞が固くなる。小鳥の生態をよく観察しています。

脳味噌の足らぬ柚味噌の句案かな 

 18歳。柚味噌の句を詠もうと頭をひねるが、脳味噌が足らなくて句が出来ない。ダジャレをおり込んだ江戸の月並俳句のような趣。少年犀星の句は多彩です。

革命の裏切をして墓参かな 

 19歳。革命運動を裏切った人物が革命に殉じた仲間の墓に参った。犀星が15歳のとき「血の日曜日」に続く第1次ロシア革命が起こりました。

糸瓜忌に柿もぐ庵のならひ哉 

 糸瓜(へちま)忌は正岡子規の忌日。19歳の犀星がこの句を詠んだのは子規の死の6年後。このとき子規が存命なら40歳でした。
 俳句での「成功体験」が、劣等感の塊のような少年だった犀星に自信を与え、文学の道を歩ませることになりました。犀星の娘の室生朝子によれば「犀星は俳句にはじまり、俳句に終った人」だったのです。