室生犀星の句を読む 俳句が開いた文士の道
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」という詩の一節に覚えはありませんか。作者は詩人の室生犀星。『杏っ子』など小説の名作もあります。
犀星は芥川龍之介の俳句仲間でした。1924(大正13)年、代表句「鯛の骨たたみにひらふ夜寒かな」を詠んだ犀星は、この句を真っ先に芥川に見せました。芥川の挨拶句に付けた犀星の脇句もあります。
龍之介
据ゑ風呂に犀星のゐる夜寒かな
犀星
ふぐりをあらふ哀れなりけり
犀星は生涯を通じて俳句を愛し、千七百余句を残しました。そのうちの五百余句が少年時代の作です。
犀星は旧金沢藩士の実父が密(ひそ)かに生ませた子で、生後すぐに養子に出されました。不遇な少年だった犀星は13歳で裁判所の「給仕」として働き始め、そこで俳句好きの上司の手ほどきで句作を始めます。北國新聞などに投句。地元金沢の俳壇でたちまち頭角を現しました。犀星の俳句の師の藤井紫影(しえい)は、犀星のことを「歌に痩せて眼鋭き蛙かな」と句に詠んでいます。
今回は特別編として、新刊の『室生犀星俳句集』(岸本尚毅編、岩波文庫)から少年時代の句をご紹介します。
水郭の一林紅し夕紅葉
15歳。新聞俳壇に入選し、はじめて活字になった句。水郷の村の遠景です。ひとところ赤く紅葉した林があり、夕日がさしている。漢文調、画趣のある句です。大人の句を見よう見まねで作ったのでしょう。老成しています。
雨細き若葉の裏の毛虫哉
16歳。雨と若葉と毛虫の情景をしっとりと詠みました。身近な自然に対する繊細な感性がうかがわれます。
山家集読終へて雁を聞にけり
17歳。西行の和歌を読み、雁の声を聞く。いっぱしの文人気取り。
馬の耳に蠅冬籠る夕べかな
17歳。寒さを逃れ、馬の耳に入り込む蠅(はえ)。馬と蠅と、生きものに対する同情の感じられる作。
学寮や顔塗られをる昼寝人
18歳。学寮で昼寝する学生の顔に墨を塗る悪戯(いたずら)。家庭の事情で高等小学校を中退した犀星は学生生活に憧れ、学歴コンプレックスを抱えていました。若者の滑稽なひとこまを詠んだ句ですが、学生の青春を羨(うらや)む犀星の淋(さび)しい気持ちも推察されます。
固くなる目白の糞や冬近し
18歳。冬が近づくと目白の餌は水気の少ないものとなり、糞が固くなる。小鳥の生態をよく観察しています。
脳味噌の足らぬ柚味噌の句案かな
18歳。柚味噌の句を詠もうと頭をひねるが、脳味噌が足らなくて句が出来ない。ダジャレをおり込んだ江戸の月並俳句のような趣。少年犀星の句は多彩です。
革命の裏切をして墓参かな
19歳。革命運動を裏切った人物が革命に殉じた仲間の墓に参った。犀星が15歳のとき「血の日曜日」に続く第1次ロシア革命が起こりました。
糸瓜忌に柿もぐ庵のならひ哉
糸瓜(へちま)忌は正岡子規の忌日。19歳の犀星がこの句を詠んだのは子規の死の6年後。このとき子規が存命なら40歳でした。
俳句での「成功体験」が、劣等感の塊のような少年だった犀星に自信を与え、文学の道を歩ませることになりました。犀星の娘の室生朝子によれば「犀星は俳句にはじまり、俳句に終った人」だったのです。
- (1)「切字」を上手に使おう2020年4月6日
- (2)響きと余韻を楽しむ2020年4月20日
- (3)言葉を実体に近づける2020年5月4日
- (4)文語を使ってみよう2020年5月18日
- (5)詩情を突き詰めれば2020年6月1日
- (6)一字の違いで大違い2020年6月22日
- (7)使う「かな」、削る「かな」2020年7月6日
- (8)後ろの五音でキメる2020年7月20日
- (9)語順を変えてみれば2020年8月3日
- (10)「引き算」でスッキリ2020年8月24日
- (11)比喩で情景を伝える2020年9月7日
- (12)季語の情感を楽しむ2020年9月21日
- (13)「季重なり」を考える2020年10月5日
- (14)人称が印象を変える2020年10月26日
- (15)関係を物語る二人称2020年11月2日
- (16)一人称を使い分ける2020年11月16日
- (17)主人公は誰でしょう2020年12月7日
- (18)ゆく年くる年を詠む2020年12月21日
- (19)新春特別編 新年の表情さまざま2021年1月11日
- (20)人物描写のいろいろ2021年1月18日
- (21)「全集中」で情景描写2021年2月1日
- (22)二つの事柄でつくる2021年2月22日
- (23)「時刻」で詩情を誘う2021年3月1日
- (24)めりはりを生む「は」2021年3月22日
- (25)春の特別編 人生の悲喜を味わう2021年4月5日
- (26)月ごとの気分を詠む2021年4月19日
- (27)四季折々の「雨」を詠む2021年5月3日
- (28)「母」の表情さまざま2021年5月17日
- (29)擬人法で表情豊かに2021年6月7日
- (30)回想も格好の題材に2021年6月21日
- (31)奥深きオノマトペ2021年7月5日
- (32)口語の効果を考える2021年7月19日
- (33)夏の特別編 時代の風俗映す季語2021年8月2日
- (34)続・夏の特別編 生と死の交錯する月2021年8月23日
- (35)「対話」して作品を磨く2021年9月6日
- (36)「前書」の効果を考える2021年9月20日
- (37)「あか」の表情いろいろ2021年10月4日
- (38)色で変わる句の気分2021年10月18日
- (39)特別編 天下の大事に秀句あり2021年11月1日
- (40)詩を生む「取り合わせ」2021年11月22日
- (41)意外な出合いを楽しむ2021年12月6日
- (42)あれもこれもの「も」2021年12月20日
- (43)冬の特別編 「雪」はドラマチック2022年1月10日
- (44)強調したいときの「も」2022年1月24日
- (45)追悼・安井浩司 謎めいた孤高の俳人2022年2月7日
- (46)数字で印象を鮮明に2022年2月21日
- (47)地名の効果を考える2022年3月7日
- (48)地名が想像を広げる2022年3月21日
- (49)選句のポイントは?2022年4月4日
- (50)同じ題材で多く作る2022年4月18日
- (51)目立ち過ぎにご注意2022年5月2日
- (52)自動詞か、他動詞か2022年5月23日
- (53)植物の季語あれこれ2022年6月6日
- (54)便利な「や」の使い方2022年6月20日
- (55)「や」の使い方あれこれ2022年7月4日
- (56)印象は「や」の位置次第2022年7月18日
- (57)詠嘆の「や」を生かそう2022年8月1日
- (58)想像広げる省略の「や」2022年8月22日
- (59)臨場感を生む「たり」2022年9月5日
- (60)思わず心で呟く「か」2022年9月19日
- (61)「と」は並列と引用と2022年10月3日
- (62)過去をあらわす「し」2022年10月17日
- (63)室生犀星の句を読む 俳句が開いた文士の道2022年11月7日
- (64)想像をかき立てる極意2022年11月21日
- (65)直喩と暗喩の使い分け2022年12月5日
- (66)物の名前をリズム良く2022年12月19日
- (67)並べて広がる句の世界2023年1月16日
- (68)連作が生み出す臨場感2023年1月30日